武田信虎公の墓/武田家三代の墓(山梨県)

武田信虎公の墓/武田家三代の墓(山梨県)

武田信虎公の墓、一般的には武田家三代の墓に訪問してみました。
お墓は甲府市にある『大泉寺(だいせんじ)』にありますが、『大泉寺』は甲斐武田氏十八代当主の武田信虎が1521年に創建した寺です。有名な話ですが1541年に甲斐国の英雄武田信玄に父親の信虎は追放され、今川義元の下駿河国で長年身を置き、その後は京都などにもいたらしく、最後はかわいがっていた六男の武田 信廉(たけだのぶかど)の居城だった信濃国の高遠城で暮らし1574年に81歳の生涯を終えます。
荒れに荒れていた甲斐国を戦に次ぐ戦で初めて統一した梟雄で、かなり乱暴な国主として伝わっていますが、息子の信玄が暗殺せずに国から追放し、その後も生き抜いてることから、戦国時代には稀な話であり武田信虎も梟雄であり英雄であった戦国武将だと思います!!!(。◕ˇдˇ​◕。)/

武田家三代の墓は大泉寺の奥にあり、武田信虎・信玄・勝頼の墓とされていますが、なんとなくですけど本当かな?って感じているため、大泉寺で推してある『武田信虎』の墓としても記載しました((((oノ´3`)ノ

【武田信虎公の墓/武田家三代の墓】

お墓自体は大泉寺の本堂奥(向かって左側から廻り込みます)にあります

向かう途中に武田信虎公の像と案内板を発見しました\(゜ロ\)(/ロ゜)/

さて・・・いよいよ参ってきますよぉぉぉぉぉ♪

????同じ敷地内に『曽我兄弟の供養塔』がありました(゚д゚)???
後で調べてみたら『曽我兄弟』が当時の戦国武将の中で大変人気があった様で、武田信玄自身も生まれた際に父親の信虎が『今度、甲斐の国主に誕生する男児(のちの信玄)は、曽我五郎の生まれ変わりである』と夢に見たとか見なかったとからしく、信玄自身もこの伝説を意識していたとされ、曽我兄弟(一門)の菩提を弔うため、また自身の前世を供養する意味を込めて、大泉寺の境内に供養塔が建てられた(あるいは後世にそれを理由に並べられた)と云われているようです\(◎o◎)/!

そして・・・ありました・・・本件の本丸♪ 『武田家三代の墓』です( `ー´)ノ

中央が『武田信虎の墓』らしく、左から、信玄・信虎・勝頼らしいです(。◕ˇдˇ​◕。)/

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