逆井城の感想
茨城県坂東市にある逆井城(さかさいじょう)に行ってきました。遺構が綺麗に整備されておりとても勉強になるお城の一つです。
元々は逆井氏が納めていたところのようですが、1536年に北条氏に攻められ落城。その後は豊臣秀吉に北条氏が滅ぼされるまで北条氏の北関東を守る重要なお城であったようです。
茨城県というとイメージ的には佐竹氏か結城氏どちらかのお城なのかななんて思って訪問しましたが違ってました。
1590年の北条氏滅亡に伴いその頃廃城となったようですが、そんなお城が現代までこんな綺麗に遺構が残っていることが奇跡かもしれないです。城跡は公園となっており散歩するのにもよい場所でした。春などは桜の名所としても有名らしいです。
逆井城の良さは当時を再現して櫓や土塁の塀、物見櫓などを建てていて、無駄に当時に無かった天守閣や白い櫓などを建てていないことだと思います。どうしても観光客受けみたいなものを狙って白い建物を建てたがる行政の方が多いですが、ここは中世の江戸時代前のお城を再現しておりとても個人的に好感が持てます。
また、変わったところとしては、千葉県の関宿城の薬医門が移築されて逆井城にあるのが面白いですね。比較的関宿城と逆井城は近いので一緒に回るのも良いのかかと思います。
逆井城画像ギャラリー①
復元の二層櫓です。中に入ることはできませんでした。
櫓のすぐ脇が堀になっています。結構幅のある堀になってます。この画像だと空堀のようですが、すぐ向こうの草が生い茂っているあたりは水路か沼の水が来ているので当時は水があったかもしれないですね。
橋を渡って門があります。小口などになっていない感じですね。
土台はよく見るとコンクリートになっていますが、土塁の上にきちんと塀が復元されています。
土塁に塀や柵を復元しているお城は少ないので嬉しいですね!
奥に物見櫓が見えてきました。井楼矢倉という作りのようです。井楼矢倉とは木を井形に組んで積み上げた(櫓)矢倉のことを言うようです。
土塁の途中で塀は終わってましたが、そのまま進みます。
塀が無くなったので土塁に登ってみると、水堀でした。高さはそれほどではありませんが、堀の幅は意外と広いです。
たぶん石垣は無かったお城だと思いますが、櫓か何かあったような小さな曲輪のところ写真中央左のところに数点石が露出しているのが当時使われていたものだろうかと考えたりしてしまいますね。
しばらく土塁沿いを歩くと門跡を見つけました。堀に橋がかけてあり、土塁の形もはっきりわかっていい感じです。
そのまま門の外に出ると道路ですが、道路の脇にも土塁がありました。いやここにも遺構が残っているのがすごいですね。柵の向こうが堀です。水路のために土を盛ったのか、ここにも塀があったのか興味深いですね。
土塁に標識がぶっ刺さってるけど、刺した人は遺構だとわかって刺したのだろうか?
北条氏に攻められた際に鐘堀池で逆井氏の奥方、もしくは娘が先祖代々の釣鐘をかぶってこの池に飛び込んで自殺したと言われているようです。なぜ、釣鐘をかぶったのだろうか?女性で釣鐘を被るって重さ的に可能なのか?当時は結構深さがあったのだろうか?今は少し大きな水たまり程度になっている程度なのでなんか色々と考えてしまいました。
関宿城(千葉県)の薬医門です。綺麗に管理されていて逆井城のものではないですが、管理が良く当時を知るよいものだと感じました。
薬医門の奥には主殿がありました。薬医門は開いていなかったので脇に木の生えていない入り口があったのでそこから見させていただきました。
ちなみにこの主殿ですが、茨城県潮来市の大台城跡発掘の際の主殿遺構を参考に復元されたものらしいです。なんか色々寄せ集めているお城ですね。でもきちんと当時のものを再現しているので室町時代ころのお城の勉強としては良い場所だとつくづく思います。
自分が行った際にはあまり庭の手入れはされていないようでしたが、主殿の前には枯山水のお庭がありました。
逆井城画像ギャラリー②
逆井城情報
築 城 | 不明 1452年頃? |
城 主 | 逆井氏、北条氏 |
住 所 | 茨城県坂東市逆井 |
種 別 | 平城 |
廃 城 | 1590年頃 |
特 徴 | 県指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | ー |
逆井城(さかさいじょう)へのアクセス
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