島津義久公の墓の感想
島津義久公の墓へ行ってきました。島津義久公といえば、第16代島津家当主であり、島津4兄弟の長男で戦国島津の、「薩摩・大隅・日向」三洲統一の立役者といった認識のお持ちの方も多いと思います。ただ、最近はネットで違う人気を博している武将でもありまして、「戦国最強の引きこもり」とか「引きこもり武将」などとして話題になっている人物でもあります。話題性を持たせるためにこの様な表現でYOUTUBEやニコニコ動画などで使われているのだと思いますが、あながち間違ってもいないかもという部分は見受けられますね笑
特に家康の上洛要請については拒み続けたなど晩年は特に引きこもりの度合いが増していた様にも見えます。
ただ、最初から引きこもっていたわけではなく、「耳川の戦い」では大友宗麟を敵将とした戦いで勝利していたりと全く戦場に出ていたわけではないです。たぶん、弟3人、特に義弘と家久が戦いに優れていたので政治的な役割を義久が自然と担う様になっていったのではないかと個人的には思っています。
そんな島津義弘のお墓が実は3つあります。一つは以前の記事でも書いた島津本家菩提寺の福昌寺跡、そしてこの記事で取り上げる徳持庵跡、そして最後は国分城近くにある五峯山竜護院金剛寺跡の3箇所にあります。金剛寺跡は訪問後にあることを知ったので次回、鹿児島へ訪問させていただいた時に行かせていただこうと思ってます。
島津義久公の墓画像ギャラリー




島津義久公の墓情報
| 年 代 | 1611年没 |
| 住 所 | 鹿児島県霧島市国分上井5−2 |
| 種 別 | 史跡 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 無し |
島津義久公の墓へのアクセス
島津義久公の墓レビュー
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