下野 壬生城 / 馬蹄城(栃木県)

下野 壬生城 / 馬蹄城(栃木県)

下野 壬生城 / 馬蹄城の感想

広島(安芸)にも壬生城が存在(有名か有名じゃないかは別として!苦笑)するため、あえてタイトルは『下野 壬生城』にさせて頂きます!(^▽^)/

壬生城は壬生 胤業(たねなり)とも壬生 綱重(胤業の息子)とも云われており、胤業が壬生城の近くに今でいう古城を築き綱重が現在の壬生城を築いたらしく、古城も併せ壬生城であったのではないかと思います。これはこの土地に来てみないと感じてもらえないのですが、この下野国(栃木県)は本当に見渡す限りの平地で稲作・田んぼがたくさんあります。戦国時代の時も田園風景はあったのでしょうが湿地や沼地が多かったんではないかと思います。その土地の特徴を活かした平城が壬生城だったのではないかと思います。

壬生城は壬生氏四代の居城だったのですが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が小田原征伐を行います。壬生城の当主であった壬生義雄は義弟の皆川広照とともに後北条方につき、壬生義雄は小田原城に立てこもりますが後北条氏が降伏し落城・・・直後に壬生義雄は病死(皆川広照の毒殺とも云われているみたいですね・・・)したため跡取りも無く壬生氏は滅亡してしまいました。

徳川家康の関東入封にともない結城秀康が城主になりますが、以降も日野根氏→阿部氏→三浦氏→松平氏→加藤氏とめまぐるしく城主が代わりましたが、1712年に加藤氏と入れ替わって鳥居忠英が入封すると、以後は明治まで鳥居氏が八代まで続き幕末まで鳥居氏が壬生藩を治める事となります。

壬生城は「聖地日光への玄関口」とされ、将軍家の日光社参では帰路の宿館として壬生城本丸内に書院造の御殿が建設され、四代将軍徳川家綱まで壬生城が宿泊所となったみたいです。

下野 壬生城 / 馬蹄城画像ギャラリー

移された大手門ですかね?壬生城の入口となります。
現在は城址公園として整備され多くの公共の施設が建設されています。

壬生城の周りには土塁と水堀で囲まれています。現在は整備され雰囲気だけが楽しめます。

大手門の礎石を発見!!!

発掘時には本丸の周りに本格的な土塁と空堀があったことがわかりますね。

本丸や二の丸などは現在町立図書館や大ホールを備えた中央公民館、歴史民俗資料館、駐車場に整備されています。

壬生城は将軍家の御用達の宿場として超大規模だったことがわかりますね~何個部屋があるんだろう・・・( ̄▽ ̄;)

下野 壬生城 / 馬蹄城周辺おすすめグルメ情報

壬生城からクルマで10分ぐらいの所にある、『絶メシ』・・・いや・・・『名店』を発見しました♪
『ツルミ食堂』さんです(〃艸〃)ムフッ

店内は(店外もだけど)ロード系で駐車場も完備するなかなかのお店で、テーブルと広めの子上がりを完備したお店です。。。
メニューを開くとツルミ食堂さんからのメッセージが・・・いい!こんな雰囲気いい!素敵です♪

カツ丼推しなんだよなぁ~(^▽^)/ ふむふむ・・・間違いない!カツ丼で流してみよう!
店員さんにお聞きしてみたら、やっぱり人気なのは『カツ丼セット~ドリンク付き~』らしいのでそれを注文♪(*`艸´)ウシシシ『カツ丼(一人前)』『ラーメン(ハーフ)』『ドリンク:コーラ』のワンパク三銃士を注文してみました♪

注文から5分ぐらいで着丼!!!!いつも思うのですが、本当に旨そげ!なヤツって美しい~♪

丼の蓋を開けてみます! 『御開帳~(⌒∇⌒)』叫んでしまいました♪

お!!!!なんだ!このカツ丼はしっかりタイプじゃん♪♪♪これはこれでスタンダードだよね♪

カツを持ち上げてみて気が付きました!? 米がギッシリ詰まってる~!?!?!?
こりゃ~ワンパクな方!ガテン系の方!腹いっぱいの大満足シリーズじゃん♪よくわかっているな~ツルミ食堂さんは!((´∀`*))ヶラヶラ

腹パンパンで大満足!(^▽^)
本当はこの『黄色いカツカレーライス』が食べたかったのですが、どうもこれは祝日の時だけのメニューらしく、よって旗をさして提供しているみたいです♪ 今度は祝日に来てみよ~(〃艸〃)

ツルミ食堂へのアクセス

下野 壬生城 / 馬蹄城情報

築 城1462年
城 主壬生氏、結城氏、日根野氏、阿部氏、三浦氏、松平氏、加藤氏、鳥居氏
住 所栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33
種 別平城
廃 城1871年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

下野 壬生城 / 馬蹄城へのアクセス

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