末森城(石川県)

末森城の感想

末森城は能登国、現在の石川県能登半島の付け根にある山城です。
前々から行ってみたく、たまたま金沢に行く用事があり宿泊したので、朝の4時に起床し出発前に朝駆け!山城一発勝負をやるために末森城を訪れてみました。

末森城を知ったのは、『原哲夫』先生の漫画『花の慶次』で、傾奇者の前田慶次郎が佐々成政が率いる軍15,000人で包囲された末森城を助けに行き、末森城の城主、奥村永福との友情や爽やかさが描かれておりとても印象的なシーンで心に残っていました。(末森城の戦い)

末森城の戦いは前田利家が支配する加賀の防衛ライン・交通の要所だった末森城(300人)に対し、佐々成政が突如15,000人を率いて襲撃し激しい籠城戦を行う、前田利家については『越中の桶狭間』てきな戦であったと思われます。
当初、援軍を渋っていた前田利家は妻であるお松の方の言葉に奮起し、2,500人を連れて出陣!佐々軍が手薄だった海岸線を進み佐々軍の背後から襲い掛かり、たぶんですが少数ではありますが末森城の奥村永福も打って出て佐々軍を挟み撃ちにして撃破したんではなかろうか?って思います(o^―^o)

末森城は能登国を治めていた畠山氏の家臣土肥氏が築城した城であったとされており、その後、七尾城の畠山氏を上杉謙信が攻め落とした際に、末森城も上杉軍に攻め落とされたとされています。
織田軍が台頭してくると能登国は前田利家が支配するようになり、末森城の城代として奥村永福を城主として入れたのではないかと思われます。因みに・・・もともと築城した土肥氏はそのまま前田家の家臣となり奥村氏の配下に置かれていたようですね。

末森城画像ギャラリー

能登国 末森城跡です!大きな看板で我々の城攻めを迎えてくれます─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

橋の手前に末森城の案内があります!

この段階で、我々はすで二の丸手前の武家屋敷付近まで来れているのがわかります。
末森城は大きな山城で、末森城の戦いはこの橋の下の山裾で戦われていたのではないかと感じました。勿論、末森城は窮地に陥っていたと思われるため、この辺まで攻め込まれていた可能性が高いですけどね!

橋を渡ると末森城古戦場跡の碑が迎えてくれます。

厳しいほどの急勾配ではありませんが深い山道を進みながら末森城の奥へ進んでいけます♪
途中、少し広めの場所は『武家屋敷跡』かなぁ??? 空堀らしきものもあるような気がしますが藪に覆われててはっきりしないなぁぁぁ

若宮丸に到着!
ここは少し丘台になっていて、藪で覆われていますがこの下には曲輪が何層かあったものと思われます。

若宮丸に登ってみます♪  かなり広いな・・・いい感じの規模だったんだろうなぁ・・・

再び、二の丸と本丸攻めをスタート!

むむむ・・・・こりゃ凄いな・・・少し入口が厳重になってきました・・・

お!!!少し何か見えてきましてねぇ~(⌒∇⌒)

二の丸に到着です(((o(*゚▽゚*)o)))

ここもそこそこ広いですね・・・特別大規模ではありませんが、堅固な尾根に二の丸や本丸を築いていたなら多少は狭くなるでしょうね・・・

二の丸から一段高い場所へ進んでいくと本丸に到着できました(*´▽`*)
木で覆われていますが当時は伐採されていた思われ、海岸線まで見渡せる山城だったと思われますね!

本丸付近にはさらに奥に攻め込む場所があり少し土塁が持ってあったりして、明らかに人工的に作られていることが感じ取れます!

二の丸から本丸に侵入した際に、最初はゴミ箱か何かと思っていましたが、反対側にまわってみると末森城の案内板がありました!苦笑 

末森城が山頂の尾根伝いに築かれていたことがよくよくわかりますね!
これを300人ぐらいの兵で籠城し15,000人の兵に攻められたら、めちゃくちゃ大変だったんだろうなと容易に想像がつきます・・・(҂⌣̀_⌣́)

末森城の山城朝駆け!が終了~♪
帰りは少し通ってこなかったルートで末森城をさらに堪能しながら下山します(^▽^)/

めちゃくちゃ楽しい、末森城の攻略でした!ありがとうございました!(〃艸〃)ムフッ

末森城情報

築 城不明
城 主奥村氏、土肥氏
住 所石川県羽咋郡宝達志水町竹生野
種 別山城
廃 城1615年
特 徴県指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

末森城へのアクセス

末森城レビュー

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