兎々呂城(東京都)

兎々呂城(東京都)

兎々呂城の感想

兎々呂城はこれで「とどろきじょう」と読んだり、「ととろじょう」と読んだりされるみたいで世田谷区のHPでは「ととろじょう」となってましたが、等々力の地名の読み方に合わせて個人的には「とどろきじょう」と呼ぶようにさせていただきます。

兎々呂城は現在は都立の園芸高校になってしまっていて標柱のみの案内で遺構などは確認できません。校内にも勝手に入れないですし、調べようがないですが仕方ないですね。

兎々呂城は後北条氏の家臣だった南条重長(なんじょうしげなが)が千葉県市川の国府台合戦での功労としてもらったとのことです。北条氏滅亡後、南条氏は帰農して姓を小谷岡や谷岡に変え深澤(深沢)の地で生涯を終えたようです。

兎々呂城画像ギャラリー

上記画像のQRコードで世田谷区のHPに飛べます。駒沢公園コースに兎々呂城の説明があります。

兎々呂城情報

築 城不明(16世紀中頃?)
城 主南条氏
住 所東京都世田谷区深沢5丁目38−1
種 別平城
廃 城1590年
特 徴
入場料
営業時間
駐車場無し

兎々呂城へのアクセス

兎々呂城レビュー

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