富隈城(鹿児島県)

富隈城(鹿児島県)

富隈城の感想

富隈城は「とみくまじょう」もしくは「とみのくまじょう」と読みます。1595年に島津征伐として豊臣秀吉に強制的に隠居させられた島津家第16代当主「島津義久(しまづよしひさ)」が内城を島津忠恒に譲ったため、急遽仕方なく築城したお城が富隈城と言われています。当時はほぼ目の前が海になっていて港を作り、商人を招き薩摩藩のなかでもかなり栄えた場所になったとのことです。
ただ、詰城になるような山が近くに無く、防御面的に弱い城だったので1604年に国分城を築城して居城を移したために富隈城は廃城になったとのことです。約10年間島津義久の居城として使用されたということになります。

公園内の富隈城説明版を読むと島津義弘の息子、家久に内城を譲ったことになっていますが、誤解されやすい表現だなと思うのでこの場で追記させていただきます。島津義久が家督を譲った息子は島津忠恒(しまづただつね)で呼ばれることが多いです。この島津忠恒が後に家久(いえひさ)を名乗るようになったのでこの説明板では息子家久と書いているものと思われます。島津四兄弟で有名な義久(長男)義弘(次男)歳久(三男)の弟の方の家久(四男)のことではないので誤解されないようにして欲しいなと思います。

現在の富隈城ですが公園になっていて、公園内に稲荷神社が建てられています。今も当時の石垣が残っていて公園の入り口や隣の電波塔側などの周囲で見ることができます!ただこの記事では一番の見どころの石垣を見るのに夢中だったのか撮影し忘れてしまい画像がありません。😞

富隈城画像ギャラリー

住宅街の中に赤い鳥居があるのでお城の場所はわかりやすいです。
この鳥居の左側が石垣のある一角なので訪問時は見逃さないように気をつけてください。NHKの電波塔が目印です。私は写真を撮り損ねて帰ってきてしまったので画像でご紹介できず申し訳ないです。

鳥居を抜けると広場になってました。ここも曲輪跡だと思われます。かなりの広さの曲輪だったと想像できますね。

この階段を登った先にも鳥居があるみたいですね。登ってみます!

富隈稲荷神社

案内は特にないですが、曲輪跡だと思われます。

島津家の家紋がありますね!

さらに上にいく階段がありました!この上が本丸かな?

本丸

たぶん本丸だと思います。現在は展望所のようになっていました。

本丸からの眺めです。

富隈城情報

築 城1595年
城 主島津氏
住 所鹿児島県霧島市隼人町住吉
種 別平城(水城)
廃 城1604年
特 徴市指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場無し

富隈城へのアクセス

富隈城レビュー

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