土浦城の感想
茨城県土浦市にある土浦城へ行ってきました。
土浦城は室町時代に築かれたお城で、現在は本丸、二の丸のあったところが亀城公園として整備されています。
綺麗に堀も残っており、太鼓櫓門が現存しています。この櫓門は関東地方としては唯一の現存する櫓門とのことです。ちなみに、櫓門とは門の上に櫓、つまり人が入れるスペースがあるものを言います。関東以外では長野県の小諸城の大手門が国の重要文化財となっており代表的な現存する櫓門です。
二の丸には土浦市立博物館があり土浦の歴史を知ることができますが、コロナ禍で休館している時もありますので訪問される際は確認してから行かれる方が良いです。ちなみに私が訪問した時は休館してました。。
土浦城の歴史は、室町時代に若泉氏が築城し、その後、小田氏に若泉氏が滅ぼされて小田氏の家臣であった菅谷氏が土浦城に入ります。菅谷氏の主君である小田氏が佐竹氏に小田城を奪われて小田氏は土浦城に入城します。小田原征伐、関ヶ原を経て土浦は結城氏のものとなり小田氏は結城氏の家臣に組み入れられます。その後江戸時代に松平氏が入り改修を重ね現代に残る土浦城になったとのことです。
公園になってはいますが、非常に遺構も多く残っていて、東櫓、西櫓と復元されており非常に見どころの多いお城です。東日本大震災でこれらの門や櫓も被害を受けたのですが、現在は綺麗に修復されております。直していただいて感謝です。
土浦城画像ギャラリー
綺麗な堀ですね。すぐ隣は住宅。
家の2階から堀見られるなんて羨ましい。癒される雰囲気の堀ですね。
櫓門の礎石とのことです。ここにあったわけではなくて、現在の櫓門の下から発掘調査の際に出てきたものとのことです。
綺麗に整備された堀が周囲を囲んでます。
本丸の周囲を幅の広い堀が囲んでいるのがわかりますでしょうか。
看板の地図、濡れても大丈夫な地図にしていただけるとうれしいですね。
本丸土塁の上にあったと言われる櫓を復元したものです。東日本大震災で壁などはボロボロになったらしいですが、
現在は修復されて綺麗な櫓を見ることができます。
本丸の周囲です。土塁が比較的に綺麗に残ってます。石垣なども含めて復元もあると思いますが、当時の雰囲気が残っているのがよい感じです。
太鼓櫓門です。関東では現存する唯一の櫓門です。
こちらも東日本大震災で被害を受けたらしいですが、綺麗に修復されていてどこが壊れたのかわかりませんでした。
土塀には狭間があり、覗くとどんな風に見えるのか皆さんも実感して見てください。
結構低い位置にあるので一人だと不審かも。私は大体一人ですが・・
きちんと土塁の上に土塀を再現してくれてあるので当時の雰囲気が伝わってきます。
東櫓です。土塀はこの東櫓まで繋がっています。東櫓もコロナ禍なので臨時休館中です。行かれる際は要確認です。
霞門。裏口、勝手口のようなものだと思われます。
霞門を出て堀を渡ったところから東櫓を撮影してます。
堀の水辺と櫓、そして松がいい雰囲気です。
敷地内に聖徳太子を祀っている御堂があります。有志の方が立てたみたいですね。
歴史的に聖徳太子にゆかりがあるわけではないようです。
正徳太子堂のある広場から東櫓を撮影。
旧前川口門。武家屋敷と多計郭(城内)を仕切るために設けられた門とのことです。
かなり傾いた角度で松が生えてます。
風の強い場所とも思えないのであえてこの角度で成長させたんですかね?
郁文館の正門
当時の藩校(学校)の門ですね。
城から少し離れた場所にあります。土浦市立博物館の駐車場から道を渡り、陸橋のある信号の交差点からすぐです。
土浦城訪問完了!
コロナ禍なので別で買った弁当を持参したため寄りませんでしたが、
次回は上記の画像にある冨久善さんでうなぎを食べたいと思います。
土浦城情報
築 城 | 1429年頃 |
城 主 | 若泉氏、小田氏、信太氏、菅谷氏、結城氏、松平氏、西尾氏 朽木氏、土屋氏 |
住 所 | 茨城県土浦市中央 |
種 別 | 平城 |
廃 城 | 1873年 |
特 徴 | 県指定史跡 続日本100名城※続日本100名城スタンプは土浦市立博物館(休館日は土浦まちかど蔵「大徳」) にて押せます。 |
入場料 | 無料 <市立博物館> 一般105円 小中学生50円 |
営業時間 | <市立博物館> 9:00〜16:30 休館日:月曜日 ※祝日の場合は開館 |
土浦城(つちうらじょう)へのアクセス
土浦城レビュー評価
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