梅戸城の感想
今回は三重県いなべ市にある梅戸城に訪問してきました。
梅戸城は戦国時代に梅戸高実(うめどたかざね)が築城したお城です。梅戸高実は六角高頼(ろっかくたかより)の子で養子として梅戸家に入ります。六角氏は近江の守護などを勤めた由緒ある家系です。
梅戸氏は北勢四十八家の一つで北勢四十八家は伊勢の有力な国人を指す言葉で実際には53家ありました。梅戸氏は高実の息子、梅戸実秀の時代に織田信長の北伊勢侵攻により滅ぼされて1568年になくなってしまいました。
梅戸城画像ギャラリー
ファミリーマートのある交差点から光蓮寺山公園に入っていきます。砂利道で舗装されていないので一瞬戸惑います。携帯基地局の鉄塔を目印に進んでいく感じです。
梅戸城は現在は光蓮寺山公園となっております。
入り口脇に公園の案内と二等三角点の説明が記載されておりました。地図などを作る基準になっているようです。
公園の標識から少しきた道を戻ると脇に道らしきものがあったのでまずはそちらを歩いて見ました。
切り通しのような構造になっており遺構なのかよくわかりませんでしたが、結構高さがあり攻めづらいようにしていたのかなと思われる感じでした。
細かな説明は見当たりませんでしたが、右前の方に見えている広いところが本丸だった場所だと思われます。奥に進んでいくと一段づつ低くなった曲輪があり、公園の入り口は本丸側から入ってくるように現在はなっていると思います。
本丸の脇はこのような崖になっており山の上というほどの高さはないですが、丘陵に作られたお城であることがわかります。
案内がないので推測ですが二の丸あたりではないかと思われます。右の方に少し土が盛られている土塁が残っています。
近づくと土塁跡がよくわかります。
左の画像は崖の方を写したものですが、道になっているようです。右の画像は二の丸?から三の丸?と思われる一段低くなっている曲輪を撮影しております。
この辺りが三の丸?でしょうか、本丸から2段下がっている曲輪になります。
本丸から来るとここが一番奥になりますが、この先に下に降りていく道があります。
本来は下の方から上がってきてここに門があって三の丸から入ってくるような構造になっていたのではないかと思います。
公園といっても子供が遊ぶような遊具などはないので城跡を残してくれている公園だと思うと今後も大事にしてほしいと思います。
梅戸城の訪問はこれで終了です。
梅戸城情報
築 城 | 不明 1500年代中頃? |
城 主 | 梅戸氏 |
住 所 | 三重県いなべ市大安町門前1136 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 1568年 |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 特に駐車場はないですが、入り口付近に停められます。 |
梅戸城へのアクセス
梅戸城レビュー
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