牛久城の感想
茨城県牛久市にある牛久城へ行ってきました。牛久城は牛久沼を南側の堀として利用した平山城です。本丸など一部の曲輪は三方を沼に囲まれた場所としており、また城全体としては東西800m南北約1kmに及ぶ惣構えをもったお城でした。
歴史としては築城は1550年ごろと言われており、岡見氏の築城で北条氏側の岡見氏(牛久城城主)と佐竹氏側の多賀谷氏(下妻城城主)との間で激戦が繰り広げられた場所でもあります。豊臣秀吉の小田原征伐に伴い牛久城も開城となり、由良氏が入城してきますが、関ヶ原後の加増、1621年に減封と領土の増減に伴い、1623年牛久城も廃城となりました。その後、牛久藩が作られ陣屋として牛久陣屋が外郭内に作られたとのことです。
城跡としては昼間でも少し薄暗く怖い雰囲気がありますが、遺構としては非常に綺麗に残っておりもっと整備をして見やすくしてくれたら嬉しいですね。竹が何本も倒れていて先に進めないような場所もありこのあたりだけでも整備してくれたらと思いました。あと駐車場が数台でも良いので止められるようにしてほしいですね。近くにコインパーキングなども含め駐車場がないので車で行かれる方は注意が必要です。周辺は道が狭いので路駐は難しいです。
空堀や曲輪、土塁など竹や木などが生えてはいますが非常にしっかりと残っています。平山城ですが、ほぼ山城といってもよい高低差を利用した城の作りなってます。
牛久城画像ギャラリー
一番高いところ説明はないけど三の丸のあったあたりに牛久城の説明版がありました。
看板の後ろがたぶん開けているので三の丸
三の丸から二の丸の方へ歩いていくと空堀らしき遺構を発見
結構な高さの切岸なのか土塁なのか人の手が入った遺構がありました。
二の丸へつながる土橋
土橋を渡ると左手に二の丸への道があります。意外と急な坂道です。
ここまでの3枚が二の丸です
意外と綺麗に整備されていて二の丸は良かったです
本丸と二の丸の間の道?左が二の丸、右が本丸。
画像手前の方が窪んでいるので当時は堀だったかもしれないですね。
あまりの竹が倒れて散乱しているので先に進めずこの先はよくわかりませんでした。
腰郭の土塁だと思われます。
木などは生えていますがしっかりと綺麗な形で残ってます。
ここまで画像2枚腰郭だと思われます。
この場所は何にあたるのかよくわかりませんでした。
腰郭の隣くらいの場所ですが、現代になって広げられた場所かもしれないです。
本郭を繋ぐ土橋だったと思われる遺構
何にしても竹が多すぎて先に進むのが雨の後だと厳しいです。
牛久城情報
築 城 | 不明 1550年頃 |
城 主 | 岡見氏、由良氏 |
住 所 | 茨城県牛久市 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 1623年 |
特 徴 | 市指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
牛久城(うしくじょう)へのアクセス
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