打吹城の感想
打吹城(うつぶきじょう)と読みます<(`^´)>
打吹城は現在の鳥取県倉吉市にある打吹山(標高204m)に築かれた城で、1356年~1361年頃、または1370年頃に伯耆国の守護大名であった山名時氏の嫡男、山名師義(もろよし)が打吹城を築き田内城から移し守護所を移したとされています。守護所を移してから打吹城の城下は整備され商工業者を集めたり、市を開かせ城下町を活性化させていき、尼子経久が伯耆国に攻め込み山名氏を激しく衰退させるまで、打吹城と城下は山名氏の中心都市であったと思われます。
その後は、尼子が支配下に置いたり、南条宗勝が旧領を回復し打吹城を管轄下に置いたり、その後、毛利氏が伯耆国に攻め込んだ際には、南条氏攻略のための前線基地として打吹城に入城したりと・・・戦国時代の重要な城として奪い合いがあったようですね。
織田信長が毛利攻略に羽柴秀吉を総大将に攻め込んで各地で戦が展開されると、本能寺の変の3年後・・・羽柴秀吉と毛利輝元が和陸すると、再び、羽衣石城主の南条元続(なんじょうもとつぐ)の管轄下に置かれ、打吹城に一族の南条信正や小鴨元清(岩倉城)、重臣の山田越中守などを城代として送り込み、現在の城下町を築いたようですね。この頃に倉吉という地名にもなったとか!?
1600年の関ケ原の合戦の時は南条元続の嫡男の南条元忠は西軍に付き敗北し改易となってしまいました・・・苦笑 その後、新たに入国した中村一忠の支配下となるが嫡子がいなったため、江戸幕府の管轄下となってしまいます。1614年に安房国の里見忠義(さとみただよし)が倉吉3万石で入国してきますが、実質的には4千石しか与えられず里見忠義が打吹城に入ることはなかった様です。
その後、一国一城令に伴い打吹城は廃城となりました。
現在は打吹山公園として整備されています。
打吹城画像ギャラリー
今回は倉吉市役所本庁舎辺りから打吹城に攻め込んでみたいと思います。






しっかりと整備された公園ですね!桜の名所みたいです(^▽^)























途中、土塁を感じさせる構造もありますねぇ~(^▽^)/ ここから少し山城感を感じれます!










山頂へ向かうと『櫓を模した展望台』がありました!( `ー´)ノ







加工されたっぽい石などが散見されますね





石垣の跡かなぁぁぁ~???





あと500mですねぇぇぇ~(。◕ˇдˇ◕。)/


おっと!!!!ここにきて倒木により立ち入り禁止になってしまっていました(´;ω;`)ウゥゥ
打吹城攻めはここで断念ですねぇ~( ノД`)シクシク…

戻ってきました・・・麓には『羽衣池』があり、この辺が桜がきれいなのかな!?(●´ω`●)




打吹城情報
築 城 | 1356年〜1370年の間 |
城 主 | 山名氏、南条氏、毛利氏、中村氏 |
住 所 | 鳥取県倉吉市仲ノ町2960 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 1815年 |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料※倉吉市役所観光駐車場) |
打吹城へのアクセス
打吹城レビュー
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