屋嶋城の感想
屋嶋城は『やしまじょう』『やしまのき』と呼ばれる城で、私もよくは知らなかったですが、『白村江の戦い』で唐・新羅連合軍と滅ぼされた百済を復興しようとする日本・百済遺民の連合軍がぶつかった合戦で日本・百済遺民の連合軍は唐・新羅連合軍に大敗し、大敗した大和朝廷が日本の防衛ラインとして対馬~畿内一帯に築いたのが『古代山城』と呼ばれ、福岡の『筑前大野城』もそのひとつらしく、対馬~畿内一帯で30城も築かれており、古代山城も『狭義の朝鮮式山城』『中国式山城』『神籠石(こうごいし)式山城』などに別れるようです。
屋嶋城は667年頃、大和朝廷により高安城(大和国)・金田城(対馬国)と同じタイミングで屋嶋城(讃岐国)も流れてきた百済の技術を伝承しながら築かれた城で、山頂に壮大な石垣を要する城なのが特徴的なんだと思います。(西国方面では戦国時代よりももっと前に石垣を要する山城が存在していたことに驚きです!)
屋嶋城は陸から少し離れた単独の山島だったと思われます。(現在は埋め立てられ陸続きになっていますね)全体の大きさは南北5km・東西3kmもあり巨大です!南嶺の標高は292m、一方、北嶺の標高は282mとなっており、なかなかの標高ではあるものの、山頂は平坦で端部は急崖で囲まれた天然の要害となっています。
瀬戸内海の海運を見渡せる位置になっており、石垣や懸門(けんもん)は南側(讃岐国側)にあり、大和朝廷の力を讃岐国の人々に示すのではなく、瀬戸内海側からの攻撃には絶壁の急崖で防ぎ、唐・新羅連合軍が讃岐国に侵攻した際は讃岐国から攻撃してくることを予測し、巨大石垣を讃岐国側に向けた築城になっているんではないかと思います。
屋嶋城画像ギャラリー
屋嶋城は国道11号線から屋嶋方面に進むと『屋島スカイウエイ』で屋嶋城の山頂まで進むことが出来ます。山頂には大きなパーキング(有料)があり『源平屋島合戦(これは次回レポート)』から展望台方面に山頂をズイズイ進み越えていくと城門の辺りまで行くことが出来ます♪







山頂から石垣&城門方面に降りていけます!この日は風が凄くてめちゃくちゃ寒かった~( ノД`)


どどぉぉぉぉぉぉ~ん~♪とした石垣!!!!!!凄いですね!!!!!


本当にこれが大和朝廷時代に築かれた石垣なのぉぉぉぉ???ってめちゃくちゃ驚かされます!!!俺が讃岐国を支配出来たらこの屋嶋城と石垣を活用して難攻不落の山城にできたんじゃないかと錯覚してしまいます!?






【動画】屋嶋城の石垣
石垣の大迫力!!!!






城門辺りに到着(`・ω・´)ゞ








屋嶋城から眺める讃岐国!!!!
【動画】屋嶋城城門
屋嶋城の迫力ある城門をどうぞ!!!!
屋嶋城の山頂は巡礼のスポットもありましたよ!







屋嶋城情報
築 城 | 667年 |
城 主 | 大和朝廷(中大兄皇子) |
住 所 | 香川県高松市屋島東町屋島山上 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | 国指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(有料) |
屋嶋城へのアクセス
屋嶋城レビュー
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