横田綱松(康景)の墓の感想
内藤昌豊の墓の裏側に、『横田綱松之墓』があります。
横田氏と云えば、武田二十四将のひとり『横田高松(よこた たかとし)←どっちが苗字なのかわかり辛い!?』の長男だと思われますが、横田高松が村上義清との戦いの際に武田信玄の最大の敗北『砥石崩れ』の際に殿(しんがり)となり討ち死にしていしまいます。
横田高松が討死したため同じ足軽大将であった同じく猛将の原虎胤の息子が横田氏を継ぐこととなり、婿養子になり横田綱松(よこた つなとし)として家督を継い妻は横田高松の娘とされています。
案内板によると、横田綱松は一族共々長篠・設楽原の合戦に参戦しており、全員がこの長篠・設楽原の合戦で全員が討死したとあります。(壮絶ですね・・・)しかも、長男は三年前の三方原の合戦で戦死しているみたい・・・足軽大将の一族として全員が猛将の血筋だったのでしょうか?
横田綱松の五男が愛知県新城市有海にある新昌寺に横田綱松の塚を立てたようですね。
横田綱松(康景)の墓画像ギャラリー
横田綱松(康景)の墓情報
年 代 | 1575年 |
住 所 | 愛知県新城市竹広 |
種 別 | 史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
横田綱松(康景)の墓へのアクセス
横田綱松(康景)の墓レビュー
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