市川少輔七郎元教の墓の感想
市川元教(いちかわもとのり)は毛利家の家臣で、山口奉行を務めていた重臣の市川経好(いちかわつねよし)の嫡男です。
1578年に豊後国の大友宗麟の内応に加担し反乱を企てましたが、父である市川経好にバレてしまい市川経好の密命を受けた雑賀隆利と内藤元輔らにより殺害されたと云われています。
めちゃめちゃ不思議ですよね・・・市川経好は元々吉川家にいた重臣で当時吉川家の当主だった従兄の吉川興経を廃して、毛利元就の次男、元春(吉川元春)を養嗣子に迎えるために尽力するなど、毛利家にとってはかなりキーマンの武将の嫡男が、何故大友宗麟の誘いに乗ったのか・・・全然意味が分かりません・・・(´;ω;`)ウゥゥ
築山神社北側の土塁の上から移された市川少輔七郎元教の墓。市川元教は大内氏再興を企て動いた人として大内氏代々の霊が祀ってある築山神社に合祀されたみたいですね。
市川少輔七郎元教の墓画像ギャラリー
墓石はもと築山神社北側の土塁上にあったが、周辺整備に伴い、2018年にこの場所に移設されたみたいですね。
市川少輔七郎元教の墓情報
年 代 | 1578年 |
住 所 | 山口県山口市上竪小路100番地 |
種 別 | 史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料)※史跡大内氏遺跡見学者用駐車場 |
市川少輔七郎元教の墓へのアクセス
市川少輔七郎元教の墓レビュー
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