稲付城(東京都)

稲付城(東京都)

稲付城の感想

稲付城(いなつき・いねつき)城は、現在の赤羽駅南口から約5分ぐらいの所にあります。
築城はあの太田道灌と云われているようですが定かではない様です。当時は豊島氏の支配地域だったことから、太田道灌が豊島氏から奪い取って居城にしたんではと思っています。
稲付城は戦略上の位置づけとして、岩槻城と江戸城のちょうど中間あたりに位置し、両城を考えるとかなり戦略的には重要な城だったんじゃないかと思います。
『小田原編年録』によると太田資康(太田道灌の子)・資高が居城していたと記載されており、上杉氏から北条氏の配下に変わってから、江戸城は北条氏が支配することとなり、太田氏はこの岩槻近辺に領することになることから、この稲付城も太田氏の中心的な城だったんじゃないかと思われます。
その後、北条氏の傘下に属しますが、太田康資の時代には葛西城を奪取しても太田氏ではなく遠山氏に葛西城を与えられるなど、太田氏側としては納得できなかったことが多くあったそうです。(警戒され江戸城も奪われたままっていうのも気に入らなかったと思われます)再び上杉氏に寝返りを考えるが北条氏に露見してしまうため、里見氏が国府台城に入城すると里見氏と連携し国府台城に入城し『第二次国府台合戦』に参戦し北条氏と里見・太田氏連合軍は激突します。しかし、里見・太田氏連合軍は北条軍に大敗してしまい太田康資はそのまま里見氏に従い上総国(かずさのくに)に逃れ久留里城に入ったとされています。

太田氏が逃げ去ると稲付城は北条氏の支配下となり、稲付城は北条方の城となったようです。

現在は『静勝寺』となっており、由来は太田道灌の死後、道灌の師・雲綱和尚が1540年に城の一角に太田道灌を弔う堂を建立して道灌寺としたことにはじまります。

稲付城画像ギャラリー

JR赤羽駅を西口ロータリーの側に降りて、イトーヨーカドーの前の赤羽西口本通りを南方面に5分ほど歩き、道路を渡ると稲付城に直ぐに着いちゃいます。超簡単!!!

稲付城です。小さな丘だったと思われる山城だった感じがしますね。

長い階段をズンズン進みます♪

木々が深くていい感じですわ(∩´∀`)∩ さてさて門前に到着♪

稲付城(静勝城)内に『木造太田道灌坐像』って云うのがあります!(⌒∇⌒)
太田道灌の命日である7月26日にちなんで毎月26日に開扉されるため、木造は毎月1回拝むことが出来るみたいですね~

稲付城の裏手になります!((´∀`))ケラケラ

稲付城情報

築 城不明(1400年代中頃?)
城 主太田氏
住 所栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33
種 別平山城
廃 城不明(1590年頃?)
特 徴都指定文化財
入場料無料
営業時間
駐車場無し

稲付城へのアクセス

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