梶山城の感想
梶山城は1352年に樺山氏が築城したとされているお城です。樺山氏は島津家の支流にあたる家系。島津家代4代当主島津忠宗の五男だった「島津資久」が樺山周辺の領地をもらったことにより樺山氏を名乗るようになります。その後経緯はよくわかりませんが、樺山氏から同じ島津家の支流ではありますが北郷氏のお城に変わり梶山城は1394年に梶山合戦という戦いがおこります。この戦いは北郷氏(島津家)対今川氏(今川方の相良氏、伊東氏、北原氏など)の戦いで二人の父「北郷義久」が家臣の高木氏などが守る梶山城に北郷久秀・忠道を応援に行かせるのですが、二人は梶山城で討ち取られてしまい、梶山城も落城という歴史があります。そのため梶山城の麓には「北郷久秀・忠道の墓」があります。
ちなみに今回梶山城には登れていません。。そのまま進むには藪が深く登城を断念しました。なのでお城についての感想は次回訪問できた時に書かせていただきます!
梶山城画像ギャラリー
北郷久秀・忠道の墓を通って進んでいきます。

気に立てかけられている梶山城跡の標柱を発見!!

うーん。。これは無理。入って行ってもたぶんすぐどこにいるかわからなくなるタイプです。
今回は申し訳ないですが遭難覚悟で進むのは無理なので撤退させていただきますm(_ _)m

梶山城情報
| 築 城 | 1352年 |
| 城 主 | 樺山氏、高木氏、伊東氏、北郷氏、伊集院氏、島津氏 |
| 住 所 | 宮崎県北諸県郡三股町長田2917−4 |
| 種 別 | 山城 |
| 廃 城 | 1615年 |
| 特 徴 | – |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 無し |
梶山城へのアクセス
梶山城レビュー
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