河尻塚(山梨県)

河尻塚(山梨県)

河尻塚の感想

信玄公火葬塚を見に来て偶然見つけました!!!『川尻塚』\(◎o◎)/!です!

河尻氏と織田信長の家臣で黒母衣衆筆頭の河尻秀隆の事だと思います。
織田信長の下で戦功を数々あげた優秀な武将だったと思います。武田氏を滅ぼすために織田信長の息子の信忠が総大将として攻め込み、河尻秀隆は織田信忠の補佐として従軍し武功をあげていったとされています。武田氏滅亡後はその戦功に対し甲斐22万石と信濃諏訪郡を織田信長から与えられたぐらいの人物ですから、四天王(柴田勝家・丹羽長秀・滝川一益・羽柴秀吉)にも引けを取らない武将だったんだと思います。
しかし・・・本能寺の変で状況下一変し敵だらけの中に織田方がひとり取り残された状況になってしまいます。命からがら岡崎に帰り着いた徳川家康は甲信の状況把握に努め、甲斐国の河尻秀隆のもとには家臣本多信俊を派して美濃国帰還を勧めた。武田旧家臣の怒りや一揆が勃発していた中、徳川家康が旧武田家臣を煽っていると思い本多信俊を岩窪館に招くと殺害してしまいます。本多信俊殺害の事実はすぐに館の外に漏れてしまいます。その事実を知って激怒したのが山県昌景の旧臣三井弥一郎昌武だったと云われています。三井弥一郎は近在の地侍や旧臣を糾合して岩窪館を急撃します。三井らは難なく館の門を打ち破り館内に乱入、河尻秀隆を切腹に追い込んだ。遺骸は館内に掘られた穴に『逆さ』にされて埋められ(ひぇぇぇぇ~怒りの大きさと織田軍への恨みの大きさをめちゃくちゃ感じさせますね!怖い!!!!(~_~メ)怒)、首は武田勝頼の墓前に供えられたと云われています。

後で撮影した写真を見てもらうとわかるのですが・・・現在のその扱いです!
地元の方々の『怒りと憎しみ』が今でもわかる状況が本当に驚きました!!!!

河尻塚画像ギャラリー

信玄公火葬塚の近くに『河尻塚』の案内がありました!

甲府市 福祉部北部幼児教育センターの脇から進んでいくとグランドがありゲートボール場の奥の住宅隅に『河尻塚』がありました(;゚Д゚)

右手のグランドがゲートボール場で・・・んんん!?フェンスがある!?\(◎o◎)/?
フェンスの向こう側にあるの!?何この扱い!?!?

案内板によると旧武田家臣や農民の怒りをかって殺され逆さにされ埋められたことから、河尻塚を『さかさ塚』と地元の人は云っているみたいですね~((+_+))

案内があるのに塚は住宅とグランドの隅っこの一角にこんなカタチで・・・(´;ω;`)ウゥゥ

河尻塚情報

年 代1582年没
住 所山梨県甲府市岩窪町265
種 別史跡
入場料無料
営業時間
駐車場無し(北部幼児教育センターの駐車場(無料)を利用可能)

河尻塚へのアクセス

河尻塚レビュー

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