建昌城/瓜生野城(鹿児島県)

建昌城/瓜生野城の感想

建昌城(けんしょうじょう)もしくは瓜生野城(うりうのじょう)と読みます。歴史的には最初、瓜生野城が築城されてその後、江戸時代に建昌城という名前で現れたため「建昌城」と呼ばれているみたいです。画像の方で説明しますが、さらに建昌城の曲輪の一部は「胡麻ヶ城(ごまがじょう)」と呼ばれておりこの胡麻ヶ城と呼ばれる場所が「瓜生野城」があった場所とされているようです。うーん。解りづらい😅

建昌城ですが、1452年に島津季久(しまづすえひさ)が瓜生野城として築城しました。島津季久は平山氏を討ち倒して別府側を挟んで平山城(平山氏のお城)の対岸に瓜生野城を建てます。瓜生野城はその後、島津季久の長男、島津忠廉(しまづただかど)の時代、1486年に飫肥城(おびじょう)へ移ったことで廃城となったようです。そして、島津義弘の時代になり、関ヶ原の合戦後、徳川氏に対する防備として瓜生野城を建昌城として強化したことで、歴史に再び登場してくるのですが、実際に戦いに使われることは無く、島津家久が島津家当主だった1615年に幕府へこの建昌城を鹿児島藩のお城として許可を求めますが、認められることなく廃城となったようです。
建昌城は今でこそ車で登っていけて簡単に行ける山城ですが、江戸時代にしかも豊臣家が滅びるようなタイミングに山城を本城にしようとしていたなんて。。。何か戦いでもしようとしてたのかな?なんて考えたりもしてしまいますね。幕府もそんな動きを察知して「山城を本城にするなんて認めねぇぞ!」みたいな想像を勝手にしてしまいますね笑

暑い時期、しかも雨が多い時は建昌城の見学かなりやばいです。ハエに蚊になんだかわからない虫も含め尋常じゃ無いくらいまとわりついてきます。虫除けスプレーしているのに耳元でぶーん。ぶーん。顔にハエはぶつかってくる。と最悪でした。もうあきらめて気にせず突っ込んで行きました!夏場などはそのくらいの覚悟で行ってください。

建昌城/瓜生野城画像ギャラリー

道を登っていくとこの建昌城の看板の手前に駐車場とトイレがあります。目印は大きな携帯基地局ですかね。
結構山の上なのに、配送業車や工事車両ぽい車が何台も止まっておりさぼ◯スポットぽい感じだったので撮影できませんでした。

建昌城説明板

この説明板は駐車場のトイレの建物のところにあります。

駐車場から道を登ってスタートです!

櫓之丸

建昌城の看板の裏手は畑になってました。この辺りが櫓之丸になるのかなと思われます。市民農園になっているみたいですね。

入っちゃいけないのかと思いましたが、車両侵入禁止で立てられているようです。不法投棄する輩がいるのでこのようになっているみたいですね。人が歩いて入る分には大丈夫なようです。

南之丸

たぶん正面の広くなっているところが南之丸だと思います!正直よくわからないです。草ボーボーだし虫すごいし。心折れ始めてます。

本丸

坂になっている土塁を上がると本丸とのことです。登った先は平で曲輪で囲まれたりはしてない感じですね。

本丸の先に進みます。

南之丸

本丸の向かいにある大きな曲輪が南之丸になります!

南之丸過ぎたら完全に泥濘になって靴ドロドロ。防水のブーツなので一応大丈夫でしたが見学するにはなかなか厳しいですね。

二ノ丸

二ノ丸発見!なんで二ノ丸だけ「之」じゃなくて「ノ」なんですかね?どなたか理由わかる方教えてください。

ジャングルの奥地に向かいます!

馬乗り馬場

この歩いている道が「馬乗り馬場」とのことみたいです。

たぶん堀切なのですが、全然わからないですよね笑

前之丸

前之丸発見!ですが、登った先が草ボーボーなのが見えているのでここからで我慢してください。

常見之丸

土塁の上に看板は見えるけどどこから上がって良いのか?かなり雨の後で土塁を登るのは滑って泥だらけになる未来しか見えないので断念しました。

なんか道が分かれてますね。まっすぐはなんか城から降りていく坂道に見えるので搦手とかに行句法だと思われます。

胡麻ヶ城

胡麻ヶ城発見!たぶんここが一番奥。かつて瓜生野城だったところです。
内心もう限界です。写真に写ってないのが奇跡なくらい実際には虫が飛びまくってます。気持ち悪くてチキンスキンになりながら辿り着きました。
次はぜったい冬に来ようと思いました。

建昌城登城完了です!

まだ行ったことない方へのアドバイスとしては皆さんはぜひ秋から冬に訪問してください。勇気ある猛者は夏でも大丈夫だと思います。

建昌城/瓜生野城情報

築 城1452年
城 主島津氏
住 所鹿児島県姶良市西餅田
種 別山城
廃 城1615年ごろ?
特 徴県指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

建昌城/瓜生野城へのアクセス

お城カテゴリの最新記事