本与板城(新潟県)

本与板城の感想

本与板(もとよいた)城は直江兼続で有名な直江氏の居城です。
もともとは新田氏が築城したと言われており、その後は越後国守上杉氏の重臣の飯沼氏入城する。
1507年に越後守護上杉房能と越後守護代長尾為景が戦った『永正の乱』で長尾為景が飯沼氏を攻め滅ぼし、長尾氏の家臣であった直江実綱(景綱)が城主となった。

本与坂城は中央に実城(本丸?)があり、西側には二の郭や三の郭、南側には二重になる南郭があり、の他には空堀や土塁、箱掘状の堀切などが整備され大きな城郭の山城です!

本与板城にはしっかりと駐車場が完備されてて安心して城攻めできますよ♪

本与板城画像ギャラリー①

本与板城の入口は急勾配!さぁ~いよいよ城攻めですね!

急こう配を登ったら意外となだらかな勾配が続きますね!

???とある標識が出てきました・・・万歳閣旧跡???

結局・・・なんだかわかりませんでした!(´;ω;`)ウゥゥ

気を取り直して実城に向かいます( `・∀・´)ノヨロシク

お!!!!!!!!!またなんかあった!
二の郭&三の郭

先ずは二の郭だす!土塁も築かれておりますなぁ~

次は三の郭!ここは少し広いな!

さてさて、実城に向かいますか♪

これを登れば実城(本丸?)に到着です(* ´艸`)クスクス

到着~♪
実城はなかなか広いですよ~(〃艸〃)ムフッ

本与板城の実城(本丸)動画

【動画】本与板城の実城(本丸?)動画ダス((´∀`*))ヶラヶラ

南側には南の郭が二重にあるようです!

本与板城画像ギャラリー②

【スポット①】
本与板城の麓には『直江屋敷』があります。

【スポット②】
直江兼続の妻の『お船(おせん)』の生誕の地があります。

お船(おせん)は直江景綱の娘として誕生し、長尾景秀の次男として生まれ直江氏に養子に入った直江信綱の妻として支えますが、直江信綱が春日山城で口論の末、毛利秀広に殺害されてしまいます。
お船はその後、上杉景勝から当時腹心だった上田衆の樋口兼続(のちの直江兼続)に嫁ぐこととなるみたいです。

本与板城情報

築 城不明
城 主飯沼氏、直江氏
住 所新潟県長岡市与板町本与板
種 別山城
廃 城1598年
特 徴県指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場

本与板城へのアクセス

本与板城レビュー

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