太田城/舞鶴城の感想
たいした城跡も残ってはいませんが、私の中ではとてもとても行きたかった城跡で、今回とうとう念願が叶いました!!!!
佐竹義重の居城であり、1109年に藤原通延が築城したと云われており、新羅三郎義光の孫だった源昌義が戦功によりこの一帯の領することとなり地名から『佐竹』を名乗ったとされています。二代目の佐竹隆義が藤原通盛(通延の孫)を降し小野台地へ移し藤原氏から小野崎氏を名乗らせ、自らはこの太田城に入城し勢力拡大を行った、正に『佐竹』の原点になる城です。
その後、佐竹氏は太田城を居城として常陸国の拡大支配をつづけ約500年ほど居城としてきた城となります。その後、佐竹義重の息子の佐竹義宣の時代に常陸国を完全統一し居城を水戸城に移すこととなります。さらにさらにその後・・・関ケ原の合戦で西軍についてっていうか、踏ん切り付かずにどちらにも付かなかった佐竹軍は、関ケ原の合戦の2年後、常陸国からの国替えを命じられ出羽国秋田郡へ転封されてしまい、太田城は江戸時代に『一国一城令』より廃城になるが、一部の『太田御殿』として水戸藩家老の中山氏に管理されるようになるみたいですね。
現在は太田城全体が小学校になっており全く面影を残していませんが、太田城の外から見ると小高い丘(小山)の上に築かれた城だということがわかり、当時を想像するしかないですねぇ~((´∀`))
太田城画像ギャラリー
現在の太田城は小学校の正門付近に『石碑』を残すだけとなっています!
石碑の裏側に説明書きがありました
石碑には、藤原通延のことを太田(大夫)通延と記載さえていますね!
佐竹氏十九代当主 佐竹義重の名も刻んであります!!!個人的に大興奮です!(^▽^)/
太田城情報
築 城 | 1108~1109年頃 |
城 主 | 仁木氏、筒井氏、脇坂氏、藤堂氏 |
住 所 | 茨城県常陸太田市中城町151 |
種 別 | 平城 |
廃 城 | 1602年 |
特 徴 | – |
入場料 | – |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
太田城へのアクセス
太田城レビュー
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