大友別館跡の感想
現在の大分県津久見市にあるのが『大友別館』と呼ばれる跡です。
一時九州を席巻しキリシタン大名として名高い大友宗麟の終焉の地となる館跡とされています。九州北部に覇を唱えていた大友宗麟は1578年に『高城川・耳川の合戦』で南九州の雄 島津氏に大敗すると、次第に島津氏に領土を蚕食されるようになります。
にっちもさっちもいかなくなった大友宗麟は、1586年に豊臣秀吉謁見し秀吉に臣従することで生き残りを図ろうとします。大友宗麟の思惑が叶い、秀吉から救援軍を送ってもらいますが、『戸次川の戦い(へつぎがわのたたかい』で島津氏にボコボコに惨敗(大将・軍監役だった仙石秀久は援軍を置いて自国の讃岐国まで逃げ帰ってしまい、長宗我部元親はギリギリまで戦いかろうじて戦場を離脱、嫡男の長宗我部信親と十河存保は戦場で討死)してしまいます。その後、島津氏は大友宗麟は隠居所先だった臼杵城まで攻め込み、かろうじて島津氏をから防ぎ切ります。。。そぉーこぉーしているうちに、1587年に豊臣秀吉の軍本隊が到着することで形勢が逆転し、大友宗麟は何とか生き延びることに成功しました。。。(九州征伐)
ひと段落したころに、大友宗麟は病に倒れます。その時に臼杵城からこの南に位置する小さな入り江の港町だった津久見へ移り住み、間もなくしてこの『大友別館』で息を引き取ることになります。大友宗麟にとっては晩年の地がこことなるのですね。。。
『大友別館』は津久見駅の南東にある比高30m 程の小高い丘陵にありました。現在は『大友公園』と整備されており、風景や余韻以外はあまり史跡が残っていない感じがしました。
大友別館跡から西南方向に約1.5kmぐらいの所に『大友宗麟の墓』があるみたいなので、後で行ってみます!(o^―^o)ニコ
大友別館跡画像ギャラリー
ははははは(o^―^o) 本当にしっかりとした『公園』だ!!!!笑
丘台から眺める津久井の風景は本当にきれいですね♪
大友別館の案内板を見つけました!
空から見たらこんな感じみたいですね!小さな漁村と隠居先が合っている感じがします。
大友別館跡情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 大友氏 |
住 所 | 大分県津久見市大友町6−2 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料) |
大友別館跡へのアクセス
大友別館跡レビュー
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