万木城/万喜城(満喜城)は摂津国から上総国へ入国した土岐時政築いたとされていますが、正確には時期も築城者もわかっていない様です。
表舞台に出てくるのが土岐為頼(ときためより)の時で、土岐為頼は隣国の巨大勢力安房国の里見義堯(さとみよしたか)と婚姻関係を結んで勢力拡大を図りますが、第二次国府台合戦で里見氏が敗北すると、後北条に上総国も圧力が掛けられ里見氏から鞍替えし後北条氏と結んで里見氏に対し離反することになります。その後も上総国の土岐氏は後北条氏と共に行動を共にします。
そのため、安房国の里見氏や真里谷氏(上総武田氏)の侵攻を度々受けることになります。特に土岐為頼の子、土岐頼春の時には1588年~1590年の間に里見氏が3度も侵攻し万木城/万喜城(満喜城)を攻撃しますが土岐頼春が里見軍を撃退しています!!!(万喜・長南合戦)
しかし、その後、1590年に豊臣秀吉による小田原征伐により豊臣氏側の徳川家康軍の本多忠勝に万木城/万喜城(満喜城)は攻め落とされ落城してしまいました。
小田原征伐によって上総国の土岐氏は滅亡し万喜城は廃城となったと云われていますが、一時的に本多忠勝か大多喜城https://jh.irukamo.com/ootakijo/に入城する前にこの万木城/万喜城(満喜城)に入城していたと云われています。しかし、大多喜城https://jh.irukamo.com/ootakijo/へ入城すると万木城/万喜城(満喜城)は廃城となったようですね。。。
万木城/万喜城(満喜城)は東西と北側を夷隅川沿いの崖に囲まれた東西約500m・南北800m規模の山城で、東西40~80m・南北190mの本丸をはじめとする3つの曲輪から構成されているみたいです( ̄▽ ̄)
【万木城/万喜城/満喜城)】
現在は『万木城跡公園』として整備されていました(=゚ω゚)ノ









模擬ではありますが天守閣(展望台)が見えますね!(^◇^)








土塁などの形跡がありますね~




本丸???((´∀`))ケラケラですわ! 展望台だねぇ~♪






展望台に登ってみましょう~(`・ω・´)ゞ














ここなら周辺の盆地がすべて見渡せますね~♪ 素晴らしい!!!



