三分一ヶ原古戦場の感想
三分一ヶ原古戦場は上杉謙信の父、「長尾為景(ながおためかげ)」を越後守護上杉家の一族柏崎の上条定憲が1530年、1533年、1534年と三度にわたり討伐を図りますが、上手くいかず、1536年4月に府中に進撃してきた琵琶島城城主「宇佐美定満」、柿崎城城主「柿崎和泉守景家」と長尾為景が夷守郷三分一原で激突します。からくも上条方を撃退することができた戦いでした。その合戦のあった場所が三分一ヶ原古戦場と呼ばれています。
ちなみに1530年は長尾為景の三男、長尾景虎(上杉謙信)が誕生した年となるとのことです。なので謙信が生まれた年に上条定憲が始めたクーデターとされています。
ざっくりの説明なので詳細は個々で調べたり、小説などを読んだりしてほしいですが、上杉謙信も戦で負け知らずとして有名ですが、戦国時代の下剋上としては父の長尾為景が傍若無人のやんちゃしまくりな人物で、主君だった越後守護の上杉房能(うえすぎふさよし)を倒して、越後の領主の座をぶん取ります。そのヤンチャぶりを見かねた上杉房能の兄「上杉 顕定(うえすぎ あきさだ)」が長尾為景討伐に越後に入ります。ちなみに上杉 顕定は関東管領山内上杉家の11代当主になり群馬県の平井城の城主になります。
最初は上杉顕定有利に進みますが、顕定の政治に反発もあり府中の国人などを為景が見方につけて1510年の「長森原の戦い(南魚沼市付近)」で長尾為景側の高梨政盛(たかなし まさもり)に追い詰められて上杉顕定は自刃にて亡くなります。高梨政盛(たかなし まさもり)は謙信の曽祖父か大叔父に当たる人物とされているようです。
このように為景打倒の戦いの中心になった場所として興味がある方は訪れてみてください。
特に遺構などはありませんが、長尾家と上杉家の歴史が動いた場所として行っておきたい場所としてお勧めします!
三分一ヶ原古戦場画像ギャラリー
道路の脇にポツンと説明版と石標を見つけました。ちなみにこの写真と反対からくると全くあるのがわからないです。ご注意ください!




三分一ヶ原古戦場情報
| 年 代 | 1536年 |
| 住 所 | 新潟県上越市頸城区上三分一 |
| 種 別 | 史跡 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 無し |
三分一ヶ原古戦場へのアクセス
三分一ヶ原古戦場レビュー
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