志布志城・内城(鹿児島県)

志布志城・内城の感想

志布志城の内城へ行ってきました!志布志城はこの内城と松尾城、高城、新城の4つの山城を総称して志布志城と呼んでいるそうです。ただ、現在搭乗口があって登れるのは内城と松尾城ということになっています。志布志城・新城については現在、志布志中学校の校庭となっていて遺構はだいぶなくなってしまているようですが、校庭の周囲に土塁が残っているとのことです。
別で書きますが、松尾城の登城に挑戦しようとしたのですが、麓の民家の方に遭難するからやめとけと言われて断念しました。確かに藪がすごく草木を分けて入っていくような状況でした。
国指定史跡になっていても甘くない山城ですので、内城に登られる際に装備は登山前提の装備で登られるのをおすすめします。トレッキングシューズくらいは必須といった感じです。

志布志城の歴史ですが、築城年代は不明ですが、南北朝時代には松尾城と内城が既に存在していたとのことです。そして、1336年に肝付氏が重久氏に攻められたとの記録が残っているようです。1348年になると楡井頼仲(にれいよりなか)が松尾城の城主になりますが、1357年に大崎胡麻崎城と志布志城(松尾城)を攻められて落城、自刃したとされているようです。たぶん戦ったのは新納氏か畠山氏だと思われます。楡井氏の後は新納氏が志布志城・松尾城の城主になっているので新納氏ですかね?同じ頃に志布志城・内城は畠山氏が城主になっている状況で志布志城の中で城主が分かれていた時代もあったみたいですねぇ。おもしろいです( ̄▽ ̄)

新納氏としては内城に畠山氏がいる状況はいつ攻め落とされてもおかしくない状況でしたので、第6代当主だった島津氏久に支援をもらい畠山氏を内城から追い出します。この結果、志布志城は島津氏久の所領するところになり1365年頃島津氏久が内城に入城します。
1536年になると島津の身内争いに志布志城も巻き込まれていきます。その結果、新納氏は豊州島津氏、北郷氏、肝付氏に攻められて落城。志布志城は豊州島津氏のお城になります。豊洲島津氏も安泰とは言えず1562年、肝付氏により豊洲島津氏の志布志城は落城。肝付氏が城主になります。まぁこれもまたそう長くは続かず、肝付氏は伊藤氏に攻められて肝付氏の志布志城が落城。またかよ!🤣 いやぁ志布志城争奪戦すごい!激戦区だねー。
やっと志布志城にも落ち着きが出てくるのが1577年。島津氏が再び肝付氏から志布志城を取り返して江戸時代以降は御仮屋という役所が置かれて城としての役割がなくなっていき廃城になったとのことです。
いやぁー室町時代始めから戦国時代終わり頃までどんだけ取り合いしてるんだよ!ってくらい激戦のお城でしたねーそれくらい志布志は重要な拠点だったということですね!

志布志城・内城画像ギャラリー

志布志市麓地区駐輪駐車場

「志布志市麓地区駐輪駐車場」に車を停めて内城に向かいます!内城の登場口まで2−3分くらいだと思います。

入り口に城の案内図と内城の説明板がありました。パンフレットも置いてくれてあります。
城散策には助かりますね!

なんかすごいですね。。昼間でも暗いし違うもの出てきそう。

最初はこれ見て簡単すぐじゃん!と思ったのですが、甘かったです。

千と千尋の神隠し?くらいなんか違う世界に迷い込んだのかなと思う雰囲気です

登城口の案内が見えてきました!少し安堵です。

志布志城内城の登城口

さぁ登るぞ!いい雰囲気になってきました!!

案内図を見ると手前に本丸があるみたいです。

曲輪2上段

開けたところに着きましたね。ここは・・・もしや。本丸か!?
と思って登ったのですが、「曲輪2上段」でした。
説明板を見るとけっこう細かく曲輪が造られていたようですね!😳です。

もう散策コースマップが無いと現在地がどこなのか全くわからないです。

階段が見えてきました!今度こそ!たぶん・・

曲輪3下段(本丸下段)

本丸到着です!あの説明板まで向かいます!

薄ら土塁が残ってますね!

曲輪3下段(本丸下段)説明板

ここを登れば上段かな?行ってみましょう!!

本丸(本丸上段)

本丸上段到着です!木が多いですが、曲輪が広いですね!

本丸の標柱発見!島津氏久公居城と書かれてますね!

何か上にあるので登ってみます!!

三宝荒神

荒神(こうじん)は竈門(かまど)の神でもあり戦いの神、軍神でもある神様が祀られていました。

さらに奥の曲輪を目指して進んでいきたいと思います!

木や藪でわかりづらいですが、空堀が堀切のようなところです。

中野久尾という曲輪がるみたいですね。

なんかだんだん荒れてきましたね。

なんか堀は歩けるけど曲輪に登るところが見つからないんですよね。。ぐるぐる下を歩かされているような??なんでだろ。もう登れそうなところから登っちゃえ!ということで道っぽく見えるところから登ってみました!

↑↑これは道?だよね。

中野久尾

たぶん中野久尾という曲輪。たぶん。。自信は、無いです。
この荒れっぷりからも本丸までが見学できる散策コースかと思います。

↑↑どこまでが曲輪かもわからない😅

これ以上は無理なので戻ってきました。

大空堀

薮でこれ以上回るのは無理そうなので帰ります。大空堀沿いから帰ることにします!

志布志城・内城の登城完了です!
整備されていない曲輪もあったので全て回りきれていないのも残念ですがまた今度整備された時に来たいと思います!

志布志城・内城情報

築 城不明(室町時代初期?)
城 主肝付氏、重久氏、楡井氏、新納氏、畠山氏、島津氏
住 所鹿児島県志布志市志布志町帖6380
種 別山城
廃 城1615年
特 徴国指定史跡、続日本100名城 ※続日本100名城スタンプは市埋蔵文化財センターにて押せます。
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料:志布志市麓地区駐輪駐車場が使用できます)

志布志城・内城へのアクセス

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