島津尚久の墓の感想
島津尚久は島津忠良(日新公)の三男になります。長男の島津貴久とお供し、7歳で初陣を飾ったと言われています。その後も次男の島津忠将(しまづただまさ)と祁答院氏(けどういんし)を破ったりと活躍を見せます。ちなみに祁答院氏は現在も薩摩川内市に地名が残っております。祁答院氏は「相模国渋谷氏」(神奈川県)が発祥で、現在の「高座渋谷駅(小田急線)」あたりが発祥の地とされています。この相模国渋谷氏が東京都渋谷区の「渋谷駅」のあたりにも所領をもらったので武蔵渋谷氏となり地名が今まで残っているとされています。鹿児島と東京の超有名な駅や土地に繋がりがあるなんて面白いと思いませんか?
話が逸れたので戻ります。島津尚久はその後、肝付氏(きもつきし)との戦いの時に病にかかり1562年32歳で亡くなりました。尚久は大太刀使いで、弓の達人だったと言われております。もう少し長く生きられていたら歴史にもっと名を残す武将になっていたかもしれないですね。
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島津尚久の墓情報
| 年 代 | 1562年没 |
| 住 所 | 鹿児島県南さつま市加世田武田 |
| 種 別 | 史跡 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 有り(無料:武田神社駐車場に停められます) |
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