新宮党館跡(島根県)

新宮党館跡(島根県)

新宮党館跡の感想

新宮党は尼子経久の 次男 国久 が、尼子氏一門による親衛隊的な役割を持つ精鋭集団が組織化されたことが始まりとなり、尼子国久が引き継いだとされています。(初期は尼子経久の弟、尼子久幸だったのかな???)尼子経久の指揮の下、出雲国・安芸国・備後国を転戦し尼子家の勢力拡大に貢献した最強軍団として知られています。
尼子久幸が吉田郡山城の戦いで討死し、尼子経久が寿命で亡くなると尼子家は孫の尼子晴久が引き継ぎます。そんな中、最強の精鋭部隊であり武功の実績があった新宮党はその勇猛さで勢力拡大に貢献した自負があり、尼子国久と息子の誠久・敬久たちはだんだんと尼子家中で傲慢に振る舞う様になり、尼子晴久と他の家臣たちと深い溝と対立を生み始めます。
尼子晴久の正室は、国久の娘であったがその娘が死去した直後の1554年11月に尼子国久を登城途中で暗殺させ尼子誠久は新宮党館内にて自害させた。その一族も自害もしくは逃亡して新宮党は壊滅した事を知った尼子敬久も翌日に自害したとされています。

面白いのは・・・この新宮党の壊滅は毛利元就の謀略だとする話も残っています。かなり高度な謀略ですが、武略謀略の天才 毛利元就なら可能なような気がしています。(o^―^o)

新宮党館跡画像ギャラリー

新宮党館は月山富田城の北東の直ぐの麓に築かれていました。領土は出雲国の北部分と西出雲を領していましたが、月山富田城により近いところで日頃は暮らしていたんですね。

新宮党館内です(`・ω・´)ゞ

少し土塁で盛られた上に館は築かれていた様です。

新宮党館跡情報

築 城不明
城 主尼子氏
住 所島根県安来市広瀬町富田字新宮
種 別平城
廃 城不明(1554年〜1560年ごろ)
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し(月山富田城駐車場などを利用)

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