高山城の感想
飛騨国高山の名城『高山城』です。
高山城は名将(って自分は熱く想っています)金森長近が築いた城です。
金森長近は美濃の多治見で生まれ金森氏は土岐氏の一門だった様ですが、戦乱激しい美濃を離れ近江野洲郡の金森へ移住したようです。元々、金森長近の父親は大畑氏を名乗っていたのですが金森に移住し金森氏を名乗ったようですね。近江の金森も戦乱の中で一向一揆の勢力が強く難しい土地だったはずなのですが商業が発展していたので土着したんだと思います。
当時は金森可近と名乗っていた長近は、18歳になると近江を離れ尾張の織田信秀に仕えるようになったようです。その後、織田信秀が亡くなると、息子の織田信長に仕え信長と共に尾張を転戦し、今川義元との桶狭間の戦いでは武功を上げて、織田信長から『長』の文字を頂き金森可近→長近に名前を変えたようですね。織田信長の親衛隊となった金森長近は織田信長の転戦にはすべて従軍し戦人としての活躍をして、1575年(天正3年)の越前で起こった一向一揆の討伐の際には、金森長近も美濃口から進軍し越前平定に貢献し越前大野郡の3分の2を与えられ、あの名城(天空の城と云われる)越前大野城を築き城主となり大野城下の整備を行います。
織田信長が本能寺の変で亡くなると(金森長近の息子金森長則も本能寺の変で討死)、当時の羽柴秀吉(豊臣秀吉)に対抗して柴田勝家に加担して出陣しますが、前田利家らともに兵を撤収して秀吉に従う意思を示しました。その後、柴田勝家を滅ぼした羽柴軍は越中討伐を行い、越前大野から攻め込んだ金森長近は富山城主の佐々成政と飛騨の姉小路頼綱(三木自綱)を攻めて短期間で飛騨国を平定します。
その功により越前大野から飛騨3万3千石を与えられ、飛騨国の高山城築城になってくるみたいですね(〃艸〃)ムフッ
飛騨国の高山城は高山城下町と隣接しており、標高686.6mの通称『城山(本当は元々別名があるとは思うのですが・・・)』に築かれた山城で、完成までに実に16年間を掛けた城です。金森長近さんの想い(情熱)がわかる感じがしますね!(^▽^)/
金森長近一代では城は完成することなく、二代目:可重の代に三の丸が完成し、三代目:重頼時代に城下町と城が一体となり完成を迎えたようですね。。。その後、金森氏の居城として約180年機能したようです!((´∀`))素晴らしい♪
高山城画像ギャラリー
金森城は高山城下町を突っ切った山の上にあり、今は公園として整備されています。
駐車場も完備さえておりとても城攻めしやすい環境ですね!しかも・・・金森長近像が出迎えてくれます!(((o(*゚▽゚*)o)))最高だなぁぁぁぁ~♪
正面からの金森長近像!!!!めちゃくちゃ渋い!!!!かっこいい~!!!!!!
高山城は駐車場脇の『搦手』より城攻めが出来る感じです♪
山道は急勾配に沿ってウネウネウネウネ・・・ウネウネウネウネ・・・って感じで急角度で曲がりくねりながら進むしかできずに、逆に言うと攻めずらいルートになっているんだなぁ~って感じますね。
どぉ???ウネウネウネウネ・・・しているでしょ~( ´艸`)
お!!!!!!!!!!埋もれた石垣(石積みなのかなぁ~???)を発見♪
藪で囲まれていますが、この辺が石垣をあった場所なんでしょうね~
さてさて・・・ますます突き進みますよぉ~クネクネクネクネ( ´艸`)
中段屋形跡に到着です!
二の丸&本丸ですなぁ~(⌒∇⌒)
東北曲輪付近に到着
がっつりいい感じですねぇ~((´∀`*))ヶラヶラ
お!このアングルすげぇぇぇ~!藪で覆われて写真ではよくわからないかもしれませんが、すごい絶壁の空堀?って感じです。ここから落ちたなら当時は即死だろうなぁ~
本丸近くの使者の間に到着!!!!ここで少し石垣が見られます。
その名の通り、籠城ではなく敵や来客と会うための落ち着いた場所的な石垣だと思います。
本丸に到着!!!飛騨高山城を城攻めコンプリートです!
【動画】高山城のスケールが届けば・・・・っていう動画です!
高山城情報
築 城 | 1588年 |
城 主 | 金森氏 |
住 所 | 岐阜県高山市城山 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 1695年 |
特 徴 | 県指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料 城山公園駐車場) |
高山城へのアクセス
高山城レビュー
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