脇城 / 虎伏城(徳島県)

脇城 / 虎伏城(徳島県)

脇城 / 虎伏城の感想

脇城は三好長慶が築いた城であり、蜂須賀家政の頃は『阿波九城』のひとつとされた城なので城攻めしてみたのですが、実は後でよくよく調べてみると面白く不思議な城であったと思いました!((´∀`*))ヶラヶラ

元々は脇権守と云う武将が館を構えたのが最初らしいですね。
1533年に三好長慶が阿波国の西側の防御のために脇城をあらためて築いたらしく、三河守兼則が城主として入城していたらしい。。。
個人的に面白いなぁ~って思うのが、そののちのち・・・1557年に大和国より武田信顕と云う武将がこの脇城に入城し三好氏に仕えたと云われています。この武田信顕は武田信虎の子で武田信玄の異母弟とされる人物だと云われており、何かしらで甲斐国を追放された大和国にいた武田信顕が三好家の家臣になったようです。
香川の引田城といい(信濃国から入国した四宮右近が城主)、四国って意外と信濃と甲斐方面の武将がいるんだなぁ~って変な運命を感じます。それぐらい甲州方面には有能な武将が多くあふれていたのかも知れませんね!(〃艸〃)ムフッ やっぱり歴史は面白い♪♪♪

脇城は状台地の先端を利用して築城されている様で、南西方向に突出した舌状台地の東側を2重から3重の空堀があったようで、東方からの敵の侵入はこの空堀で対応し南方や北西は自然の断崖を利用して防御していたようですね。。。
実際行った際は竹藪に覆われて全くわかりませんでした!が、うっすら!尾根を利用した城なんじゃないかと思いましたね(^▽^)/

脇城画像ギャラリー

思った以上に山奥で深い竹藪で覆われていました!?

尾根を活用した城郭な感じがプンプンしていますね~♪

堀かな???曲輪かなぁ???

この辺が尾根感が出ていますねぇ~♪

石垣?石積み???らしき崩れた跡も残っているのなぁ???何だろう???

脇城情報

築 城1533年
城 主長宗我部氏、蜂須賀氏、稲田氏
住 所徳島県美馬市脇町大字脇町
種 別山城
廃 城1638年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し

脇城へのアクセス

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