八幡城/八幡山城の感想
八幡城(やはたじょう)もしくは八幡山城(やはたやまじょう)と読みます。
八幡城は1411年に駿府へ来た今川範正(いまがわのりまさ)が築城したと言われております。駿府城の支城的なお城だったと思われます。
説明板には1476年の今川家の家督争いで太田道灌の軍勢がこの八幡城に布陣したと書いてありました。これは今川義忠が無くなり、義忠の従兄弟である小鹿範満が家督を主張し起きた争いになります。太田道灌などが入り、義忠の嫡男「龍王丸(たつおうまる)のちの今川氏親」が幼かったため、成人するまでは小鹿範満が代行をするということで一旦は落ち着きますが、龍王丸が元服後も小鹿範満が家督を譲らなかったため、1486年にも争いが大きくなり、今度は北条早雲が助けに入り、小鹿範満を討ち取ります。これでやっと龍王丸が家督を相続し平穏が訪れました。
今川家は家督争いが2回あり、この1476年〜86年の後、1536年にも「花倉の乱」というお家騒動があり、この時の勝者が織田信長との戦いで有名な今川義元になります。
八幡城は現在は公園になっており、遺構などはほとんど残っておりません。曲輪や空堀が残っているとのことではありましたが、なんとなくそうかな?といった感じで城跡の雰囲気はあるものの遺構をはっきりと残してくれていたり、説明がされていたりなどはありませんでした。
八幡城/八幡山城画像ギャラリー

八幡山公園の案内を見つけ階段を登っていきます。駐輪場はありますが、駐車場は無いので訪問される方は注意してください。




意外と階段が長くなかなか上まで上がれないですね。小走りで意気揚々と登っていたので息が切れてきました。登っていると、なんか曲輪っぽい少し広くなっている場所に出ました。
ただ、案内がないので、曲輪跡なのか、公園にする時に整地したのかよくわかりませんでした。
さぁー小走りでさらに登っていきます!





なんか帯曲輪のように周囲をあるけるような横道も見つけたのですが、特に城跡に関する案内がないので、頂上を目指します!

おっ!これを上り切れば頂上ぽいですねー!
おっさんが全速力で階段を登っているのでそろそろ体力的に頂上であってほしいです。。懇願


見晴らしのよい広場に出ました!やっと頂上!なんか駿府の城下が見渡せそうなので端まで行ってみます!



城下だけじゃなくて富士山が見えました!絶景ですねー!



なんか先ほど紹介した今川家の家督争いについて書かれた新聞記事がぶら下げられていました。

なんか櫓か物見台でも立っていたであろう盛り土のされた場所をみつけましたが、丸い球体の設備が置かれた場所に使われていました。遺構だったらもったいないなぁ。




道が続いているので道なりに歩いて進んでいきます。ところどころにテーブルやイスなどがあり休憩できるスポットが所々あります。

ぜーぇーぜーぇー言いながら走り続け説明版を見つけました!





このベンチのあるところで終わりのようです。これより先は山(公園)を降りていく道になっているようですのでこれで八幡山城の登城完了です!



八幡山城情報
築 城 | 1411年? |
城 主 | 今川氏 |
住 所 | 静岡県静岡市駿河区八幡山 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
八幡山城へのアクセス
八幡山城レビュー
八幡山城についての皆さんの評価をお願いします。
八幡山城おすすめの理由や訪問時の感想などもご記入いただけると嬉しいです。