明智煕子・明智光秀一族の墓の感想
明智煕子(あけちひろこ)の墓へ行ってきました。煕子は明智光秀の正妻になります。明智光秀は生涯、煕子以外に側室などを持たなかったとされていて2人の夫婦愛が伝わってくる話が多く有ります。明智光秀は斎藤道三に仕えていたので道三が亡くなると浪人になります。本当かどうかわかりませんが、とても貧しかったこの時代に煕子は自分の自慢の黒髪を売って家計を助けたなどの逸話が残っています。
煕子は明智氏と同じ美濃の土岐氏の支流にあたる家系で、妻木氏の出身です。妻木氏は最後まで明智光秀に仕え、この西教寺は妻木氏の菩提寺でもあります。なので、この明智一族の墓の中には妻木氏も含まれているのではないかと思います。ちなみに斎藤道三の正室だった小見の方(おみのかた)は明智光秀の叔母にあたる方だとされています。斎藤道三の娘、濃姫が織田信長の正室ということを考えていくと家系的なつながりが織田信長と明智光秀にはあったという事になりますね。おもしろいですねー(^^)、そうすると、本能寺の変はただの家臣の裏切りではなく身内に討たれたとも言えるんですよね。
ちなみに、煕子は細川ガラシャ(玉子)の母親にあたります。細川忠興とガラシャの夫婦の悲運な生涯も時代に翻弄された壮絶な話ですので気になる方はこちらも調べてみると興味深いかと思います。
明智煕子・明智光秀一族の墓画像ギャラリー
駐車場に境内の案内図がありました。結構広そうですね。


同じ歴史好きでしょうか?門のところで写真を撮られている方がいました!後ろから撮影してすいませんm(_ _)m


長い参道を歩いていくと、「明智光秀一族の墓」の案内がありました。


案内に沿って進んでくると本堂前の開けた場所に着きました。




戦国武将ゆかりの地として、明智光秀夫妻以外にも徳川家康と豊臣秀吉の説明がありました。
秀吉は伏見桃山城をこの西教寺に客殿として移建されているみたいですね。徳川家康は紀州徳川家から本堂建築で寄進をされているとのことです。



明智煕子の墓
案内を発見!!

中央の斜めに卒塔婆が立てられているお墓が明智煕子の墓になります。





明智光秀一族の墓
本能寺の変後の山﨑の戦いの後、討たれた方を埋葬したようです。


西教寺客殿
最後に客殿を見学させていただいて訪問終了です!












明智煕子・明智光秀一族の墓情報
| 創 建 | 7世紀 |
| 本 尊 | 阿弥陀如来 |
| 住 所 | 滋賀県大津市坂本5丁目13−1 |
| 種 別 | 寺院 |
| 特 徴 | 重要文化財 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | 拝観時間 9:00~16:30 |
| 駐車場 | 有り(無料) |
明智煕子・明智光秀一族の墓へのアクセス
明智煕子・明智光秀一族の墓レビュー
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