荒子城(愛知県)

荒子城(愛知県)

荒子城の感想

荒子城は1544年頃に織田家より2000貫を給され、前田利春(前田利家の父親)が蔵人利昌(利春)が尾張前田家発祥地である前田城(荒子城から約3km先)から移り築城したと云われています。 前田利家はこの荒子城で誕生しました。
当初は嫡男の前田利久が当主となる予定だったが、主君の織田信長に『武者道少御無沙汰』とされ、前田利久でなく四男の前田利家に家督と荒子城を渡す様に命じられたとされています。。。織田信長がそう判断した理由は前田利久に実子がなく、病弱のためとされたためです((+_+))
必然ですが利久と利家の間は不和となってしまい、前田利久の妻も前田家代々の家宝を渡すまいと抵抗した様ですね。。。利久の重臣である荒子城代の奥村永福(こやつはなかなかの武将ですよ!)も荒子城の明け渡しを拒絶したと云われていますが、主命だったので最後の最後は退去をせざる得なくなりました。
その頃・・・前田利久は子がいなかったため、弟の安勝の娘を養女とし、その婿に自身の妻の甥(弟とも)とされる前田利益(滝川一益の子???滝川一族の子だとされ、後の『大ふへん者』と称される前田慶次/慶次郎(まえだ けいじ/けいじろう)です!(^▽^)/)を迎え養子としました。利久も後に利家と和解し、剃髪して『蔵人入道』と呼ばれ、金沢城代を代人するなどしたそうです。

荒子城は現地にある『前田利家と荒子城』の案内板の説明にある通り『「狭い平地に簡単な柵と堀をめぐらし、敵を見張るために屋根の上に櫓を設けただけの砦程度のもの』と記されており、また、入口の案内板には『東西約68m・南北約50mあり、一重の堀を巡らし』とのの説明にあるように、戦いに備えた城というより、一族の生活の場であったと様に思われますね(。◕ˇдˇ​◕。)/

荒子城画像ギャラリー

現在は『天満天神宮』となっており住宅地にひっそりと・・・そしてど派手に存在しています!荒子城って云うよりは『前田利家生誕の地』って感じですね~( `ー´)ノ

『前田利家興誕生之遺址』です(。◕ˇдˇ​◕。)/~♪

荒子城情報

築 城1532〜55年(天文年間)
城 主前田氏
住 所愛知県名古屋市中川区荒子2丁目191
種 別平城
廃 城1575年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し

荒子城へのアクセス

荒子城レビュー

荒子城についての皆さんの評価をお願いします。
荒子城おすすめの理由や訪問時の感想などもご記入いただけると嬉しいです。

お城カテゴリの最新記事