長尾砦跡の感想
先日の長尾氏居館跡の記事に続いて長尾氏砦跡になります。長尾氏砦は小田原北条氏の時代に作られたもののようですので、戦国時代に作られた場所になるようです。ただ、すぐ隣に長尾氏居館跡があり、そちらは長尾氏発祥の地と言っても良い場所かと思われます。長尾氏は鎌倉時代に鎌倉氏だった鎌倉景広がこの地をもらい長尾の姓を名乗るようになり、長尾景広となります。その後、戦国時代になり、小田原北条氏がこの地を納めていた時代には長尾氏の子孫として越後の上杉謙信(長尾景虎)を輩出した家系にもなります。神奈川の歴史鎌倉時代を知ると戦国時代につながり面白いですねー!
話は長尾氏砦に戻りますが、今の砦跡としては玉縄城の出城(支城)として造られたものとされており、玉縄城は戦国時代の最初の武将とも言われている北条早雲(伊勢宗瑞)が1512年に築城したとされています。この長尾氏砦もその頃に築城、もしくは元々あった砦を改修したのではないかと思います。玉縄城は小田原北条氏にとって重要な拠点の城だったので近親者を入場させていて、1590年に豊臣秀吉の小田原征伐まで落城していないお城になります。その後、徳川時代になり、1615年に一国一城令により玉縄城が廃城になったので同じ頃に長尾砦も無くなったのでは無いかと推測されます。
いやぁー、長尾氏と北条氏に関係する場所として訪れると遺構はほとんどないですが、上杉謙信と北条早雲どちらも好きな自分にとっては大満足な訪問です☺️
長尾氏砦跡画像ギャラリー
長尾氏居館跡のすぐ隣くらいの範囲が長尾氏砦のようなので、居館跡側からも行けますが、下からまた登っていこうと思います。


坂を登り始めるとなんとなく城跡のような雰囲気が漂い始めます。
曲輪跡っぽい雰囲気を感じたのでちょっと登らせていただきました。結局何もなく分からなかったですが。。



見落としそうになりましたが、階段発見!登ってみます!!

切岸?
竹林ですね。なんか切岸ぽい感じですが、断定できる感じではないです。奥まで進んでみまみましたが、なんか道も途切れていて案内などもなくここもよく分からなかったです。でも右手上の方が砦跡なはずなので切岸なんじゃないかと感じます。




戻ってきて少し坂を登ったら脇に説明版を発見しました!
説明版

もう少し坂の上まで登ってみました。


先ほどの切岸の上側になるので何か遺構らしきものはないか歩いてみましたが、発見できず。さすがに畑の中までは入っていけないので今回の訪問はこれで終了です!





長尾砦跡情報
| 築 城 | 不明(戦国時代1512年ごろ?) |
| 城 主 | (長尾氏)、後北条氏 |
| 住 所 | 神奈川県横浜市栄区長尾台町349−3 |
| 種 別 | 平山城 |
| 廃 城 | 1615年? |
| 特 徴 | – |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 無し |
長尾砦跡へのアクセス
長尾砦跡レビュー
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