大高城の感想
『大高城』は現在の愛知県名古屋市緑区大高町にある比高約20mの丘陵上に立地する小高い丘にある平山城です。。。正確な築城年代は不明ですが、南北朝時代には尾張の守護も兼ねた土岐一族の池田頼忠が居城したという記述がある様に、大高城は古くから城(砦?)として機能していた可能性がありますね。
当時、大高城は尾張国知多郡大高村にあった城(砦?)で、織田氏の家臣だった鳴海城の城主山口教継は織田信長に見切りをつけ今川氏に寝返り、大高城主だった水野為善?(水野忠守?)と沓掛城主(くつかけじょう)近藤景春と共に今川義元側へ寝返ったとされています。
織田信長はこの脅威に対して『丸根砦』と『鷲津砦』を築き、大高城に圧力を加えます!!!その後、織田方への再翻意の嫌疑により山口教継は今川義元に切腹させられ、翌1560年大高城には今川家臣の鵜殿長照が城主として城を守らせ防衛強化の姿勢を示します。
今川義元は京を目指し途中の大きな障害となっている織田氏を攻め滅ぼすために那古野城を目指し進軍します。その頃この辺一帯は今川氏の侵攻を防ぐ織田氏との最前線となり激戦を繰り返していました。鵜殿長照が城主として入城した同上1560年に織田方の軍勢の包囲を受けた大高城は孤立してしまうため、今川義元の命を受けた松平元康(のちの徳川家康)が大高城を救うべく補給作戦である兵糧入れが敢行されます。(この話はめちゃめちゃ有名ですよねぇ~(^▽^)/)
無事に補給作戦を成功させた松平元康は最前線の鵜殿長照と入れ替わりで、この大高城に残り城を守ろうとします。(逆に松平元康に直ぐに城代を代わってもらい逃げ帰っちゃう鵜殿長照・・・(+_+)って・・・)
大高城に籠り今川義元の到着を待っていた松平元康でしたが、まさかの『桶狭間の戦い』で今川義元の首を織田信長が獲ってしまいます!?!?今川軍は崩壊し最前線に取り残された松平元康や大高城に踏みとどまりますが、織田信長が大高城に攻め込んでこなかったため、生まれ故郷である岡崎城へ撤退して行くようですね。岡崎城に着いた松平元康は今川氏からの長い人質生活にピリオドをうち独立し、今川義元を討った織田信長と同盟を結び一身独立・一国独立を果たすことになります(o^―^o)ニコ
大高城は南北約32m東西約106mの台形状に築かれており四方を二重の堀に囲まれ、本丸・二の丸・曲輪などを備えていたとされています。土塁・空堀・土橋などの遺構を残し、堅固な城であったんじゃないかと想像できますねぇぇぇ~(。◕ˇдˇ◕。)/
大高城画像ギャラリー
大高駅付近のコインパーキングから大高城まで約700mほどです。住宅地(城下町かな?)の中にあり、途中、細い路地を抜けて大高城に向かいます。




大高城の入口に大高城の案内があり、周りには土塁や空堀の跡が残されていますね!(`・ω・´)ゞ












曲輪の跡ですね。。。






こんもりと土塁が築かれています。





城山八幡社


















今は城山公園として憩いの場となっていますね~(⌒∇⌒)
大高城情報
築 城 | 不明(1504〜21年の永正年間) |
城 主 | 池田氏、花井氏、水野氏、朝比奈氏、鵜殿氏 |
住 所 | 愛知県名古屋市緑区大高町城山 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 不明(1560年頃) |
特 徴 | 国指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
大高城へのアクセス
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