『松永久秀の墓』です(`・ω・´)ゞ
信貴山城からクルマで約15分ぐらいの所にある『達磨寺』にお墓がありました。
松永久秀は誰もが知っている超有名な武将ですよね!(‘◇’)ゞ 出生が不明ですが三好氏に仕官し三好長慶の側近となりメキメキと力をつけて、三好政権下で三好一族を抑え実力が突飛し始め、三好長慶の配下であると同時に交渉の一環として室町幕府第13代将軍 足利義輝との関係も深めていったため、非常に複雑で且謀略的な関係を周りと築いていきます。 三好長慶の長男の義興と同時に同様の官位を受けられるなど、主君の長男と同格の扱いを受けられるなど地位を得れていたと思われます。この頃から松永弾正(まつながだんじょう)って呼ばれるようになります。
松永久秀は悪名が高く有名で、手始めに自分に対し批判的だった三好長慶の長男義興を毒殺したり長慶の弟の十河一存や三好実休を暗殺したのは松永久秀との話があります(真実はわかりませんが・・・まぁ~政権下の評判が悪く怪しかったんでしょうねぇ~) また、関係を築いていた足利義輝を三好一党と殺害したり、筒井氏・三好三人衆の連合軍との戦いのときに東大寺を大仏ごと燃やしてしまったりして悪名がドンドンあがり、織田信長からは徳川家康に本人を前に『これは松永久秀である。彼は将軍を殺し、主人である三好氏には恩を仇で返し、さらに、奈良の大仏殿を焼いた。これらのことは古来、人間ならばまずできないことである』なんて紹介されるなど、強烈な嫌味(織田信長は嫌味じゃなくて『すげぇ男だろ!』って意味で紹介したんだと思うのですがぁ~苦笑)を云って、松永久秀に赤っ恥をかかせたとかの話が伝わっています(≧◇≦)
だからかもしれませんが、松永久秀が何度か織田信長を裏切っても許されていましたが、上杉謙信が織田信長包囲網戦に立ち上がった時に、再び松永久秀は織田信長を裏切りますが、上杉謙信が急死するとさすがに織田信長側に戻ることはせずに信貴山城に籠城し抵抗を始めたため、織田信長の長男、織田信忠を総大将とする織田軍が攻め込んであえなく落城し松永久秀も自害して果ててしまいます・・・
1577年10月10日に自害した松永久秀の首を、ずっと苦しめられ戦い続けていた筒井氏(筒井順慶たちかな?)がその亡骸をこの達磨寺に葬ったとされているようです。 因みに・・・墓石の裏には『松永弾正久秀墓 天正5年(1577年)十月十日』の文字が刻まれているそうですが・・・見えましぇん!
【松永久秀墓】
国道168号線沿いに『達磨寺』があります! 駐車場もバッチシ(≧◇≦)



寺内の案内がありました!



ふむふむ・・・あった!!! ⑧ ですねぇ~



ありました!( `ー´)ノ 本当にきれいに整備されてますね! 素晴らしいと思います





