武田信武・武田勝頼之墓(山梨県)

武田信武・武田勝頼之墓(山梨県)

本当にたまたま見つけてブラリって入った史跡ですが・・・結果的には私の中でかなりの衝撃的な出会いになりました!!!(`・ω・´)ゞ

甲府市内にある法泉寺に『武田信武・武田勝頼之墓』がありました!!!

武田信武!知らないので調べてみました!\(゜ロ\)(/ロ゜)/
甲斐源氏第10代目当主であり武田氏7代目当主でもあります(因みに・・・武田信玄の父親の武田信虎は甲斐源氏第18代目当主であり武田氏第15代目当主となり、武田信玄は甲斐源氏第19代目当主であり武田氏第16代目当主となります)
武田信武の室(奥さん)は足利尊氏の姪だったみたいで、建武政権より離反した足利尊氏の反乱に軍事行動を共にして挙兵し、熊谷蓮覚(くまがいれんがく)が籠る安芸国の矢野城(熊谷蓮覚の本拠城)を攻略し攻め落としています。翌年には上洛し、足利勢と合流し主に畿内を中心として宮方と戦い、また安芸国内の沈静化にも務めるなど縦横無尽に活躍をした様ですね。
将軍となった足利尊氏と実弟直義の対立から発生した観応の擾乱(かんのうのじょうらん)の最中には甲斐守護への補任を求められ足利直義追討のため甲斐国へ入国した様です。武田信武は甲斐国の守護職を長男の武田信成に譲り、大活躍をしていた安芸国は次男の武田氏信(たけだうじのぶ)を送り込み、武田源氏の流れを組む安芸国の守護職初代当主となり安芸国で勢力を拡大します。毛利元就ファンの私からすれば、安芸の武田氏のルーツが甲斐の武田氏であり明確になったのは衝撃的でした!!!ヾ(≧▽≦)ノ

あと・・・隣に武田勝頼のお墓もありました!
武田勝頼は武田氏最後の当主で有名ですが、最初は『本当かよぉぉぉなんでこんな所(武田信武の墓の隣)にわざわざあるんだよ・・・』って半信半疑で思っていましたが、案内板を読むと下記の事が書いてありました。
『甲斐武田氏最後の国主となった勝頼の墓は、甲府市内では大泉寺の祖父信虎の墓と並んで父信玄の墓とともに在る。しかし、勝頼独自の墓としては、この墓以外にはみられず、法泉寺が江戸時代の初めから幕府によって、勝頼菩提所として認められるようになったゆえんである。なお当寺は、武田勝頼画像も所蔵している』
っと記載されていました・・・ひょっとして・・・本物じゃない!!!(#^^#)凄い!!!

【武田信武・武田勝頼之墓】

武田信武と武田勝頼のお墓は法泉寺にあります。これは『法泉寺鐘楼門』です♪

法泉寺です( `ー´)ノ

武田勝頼のお墓です( `ー´)ノ

武田信武と武田勝頼の案内(説明)番です(^◇^)

武田信武のお墓です(`・ω・´)ゞ

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