雉岡(きじおか)城は山内上杉氏が八幡山の独立丘陵に築かれた平山城です( `ー´)ノ
元々は山内上杉氏の居城として築かれるものの、地形が狭かったゆえに山内上杉氏は上州の平井城https://jh.irukamo.com/hiraijo/を築き移っていったとされています!!!
鎌倉街道沿いの交通要衝を押さえた雉岡城は関東菅領上杉氏の最前線地として築かれており、今は雉岡城の方が大きくなっていますが、上杉氏の五十子陣(いかっこじん/いかっこのじん)の支城として築かれた様で、この雉岡城から食料とか兵站とかを確保する役割があったんだと思われます。
まぁ~今の規模はきっと後北条氏が上杉氏を滅ぼした後に大幅改善を施したんじゃないかと思います。
後北条氏の頃の雉岡城は鉢形城https://jh.irukamo.com/hachigatajo/の支城として役割を果たし150年ほど続き、最終的には松平家1万石の城となり八幡山藩がつくられ江戸時代に廃城となったようですね。
現在の雉岡城は裏手の小学校の辺まであったんじゃないのかな?って思い、Googleマップで見てみても、現在残っている雉岡城跡は当時の城の規模から1/4じゃないかと思われます。
構造は後北条氏得意の土塁が力強く築かれていた『土の城』だったんじゃないかと思われる雰囲気はガンガンあります。が、やっぱり削られている分公園の領域ですなぁぁぁ(;゚Д゚)
【雉岡城/八幡山城】


しっかりと案内板がありますね!駐車場もバッチシです(^◇^)




さてさて・・・城内に入ってみましょう~( `ー´)ノ







土塁は大きくて周りの堀は深い感じがしますが、整備され過ぎててここかどんな役割の曲輪なのか全然想像できませーん<(`^´)>



内堀になるのかな?


おぉぉぉぉぉなかなか・・・(^◇^)





『水道の井戸』です!(`・ω・´)ゞ





堀の中を歩いていると『夜泣き石』を発見しました!
児玉町に伝わる民話によると、 城主の側女お小夜が奥方の怒りを買い井戸に沈められ殺されてしまったらしく、そのお小夜は妊娠してたため井戸と堀は乳色に濁り、夜な夜などこからともなく赤子の泣き声が聞こえてくるとか・・・・・・よくあるパターンですが・・・・怖いですねぇ~(@_@)




さぁ堀底から上に上がっていきましょう~








土塁の上を歩いて進みます~♪


雉岡城内に『金毘羅神社』があります( `ー´)ノ



進んでいくと・・・曲輪から先程の『夜泣き石』が確認できます!
堀の高低差が凄いですね! 民話からすれば堀の水が濁ったってあるので、ここは空堀ではなく水堀が張り巡らされていたと思われます(=゚ω゚)ノ




春には桜の名所として地元の方が楽しんでいる雉岡城みたいですわ♪












