金窪城は1177年~1181年頃に武蔵七党と呼ばれる武士集団のひとつ丹党の加治家季が築いた城と云われておりますが、案内板を読んだら新田義貞が金窪城を築き家臣の畑時能が金窪城を居城とさせたとも書いてありますねぇ~(‘◇’)ゞ
武蔵七党の加治氏はもっと南の入間・飯能の地域が勢力下なのでここまで離れた場所に金窪城を築くのは何かしらの理由があったのか不思議な感じがしますが、新田義貞との何かしらの関係があったのか?何かしらの理由で加治家季が武蔵七党から離れたのか・・・自分の中での妄想が広がって面白くてたまりません!(●´ω`●)
新田義貞が鎌倉幕府打倒の兵を挙げた頃は家臣の畑時能が金窪城を居城としていたようで、室町時代から戦国時代にかけては斎藤実盛の末裔を称する斎藤氏の居城となっていてようです。1582年にに織田信長が本能寺の変で横死すると、織田軍で関東に侵攻していた滝川一益を倒すために北条氏直が大軍を率いて北武蔵へ進軍した。斎藤定利は北条氏側について北条氏直を待っていたが、滝川一益の軍勢に攻められ一族もろとも討死し金窪城も落城し焼き払われたと云われています!!!(@_@) 北条氏が滅ぶと徳川家康に仕えた武田信俊が金窪に陣屋を構えたそうですね。
【金窪城】









