大多喜街道(国道号線)から少し外れた鶴舞看護専門学校への道を進むと舞鶴城/舞鶴藩庁跡があります。舞鶴城/舞鶴藩庁跡は意外と築城?は浅く明治元年に入ってからで、浜松城6万石の城主だった井上正直公が、 1868年(明治元年) に徳川家移封に伴い鶴舞へ転封となり築城したと云われています。
舞鶴城/舞鶴藩庁跡は養老川の支流である平蔵川の 右岸の台地上に位置してて、 この辺りには縄文土器が出土してい る鶴舞遺跡もあり、古代からの集落があったみたいですねぇぇぇ~鶴が 羽を広げているような地形をしているため、『鶴舞』と命名された様です(自分の中ではよくあるパターンだなぁっと!(`・ω・´)ゞ) その際、 井上家が新しい領地 として開発したのが現在の鶴舞小学校を中心とするエリアらしぃです。1871年には藩庁や知事邸宅、家臣屋敷などが完成し城下町 が形成されましたため『最後の城下町』の異名をとってい ます。 城は結局完成せず(まぁ~明治維新だしねぇぇぇ)に藩庁として機能してい くことになりました。鶴舞小学校付近に残る井戸や、 水堀などの遺 構から当時を偲ぶことができますよ(^◇^)
【鶴舞城 / 鶴舞城本丸之跡 / 鶴舞藩庁跡】









ふむふむ・・・井戸ですなぁ・・・




