筑後 高橋城 / 下高橋城(福岡県)

筑後 高橋城 / 下高橋城(福岡県)

筑後 高橋城 / 下高橋城の感想

ここも地味に訪れたかった城です(???城なのか?苦笑)
筑後にある『高橋城』です(^▽^)/~♪

高橋城は私の大好きな武将!『高橋 紹運(たかはし じょううん)』が名門の高橋家に養子に入って継いだ名家の城でした!(高橋 紹運の息子が立花道雪の立花氏に養子に入り立花家を継ぎ、立花宗茂となります(o^―^o)ニコ)

高橋氏の祖は大蔵春実で、筑後国朝倉の秋月氏や山門の田尻氏、三潴の江上氏とは同族とされているようです。939年藤原純友の乱平定の手柄により、上高橋・今・鵜木・下高橋を領地とし、当初上高橋城を居城となり地名をとって『高橋氏』と名乗ったのがスタートみたいです。南北朝時代に九州へ流れ着いた足利尊氏が再起の際、鎮西支配の為に配置した高橋光種(たかはしみつたね)の居城であったと云われています。
高橋光種の7代後の高橋長種の時に子供がおらず、大友氏に願い出て大友一族のひとつ吉弘 鑑理(よしひろ あきまさ/あきただ)の子である鑑種(あきたね)を養子で向かい入れ、高橋鑑種(たかはし あきたね)となり上高橋城からこの高橋城(下高橋城)へ居城を移し、宝満城や岩屋城を同じくして治める事となり、立花道雪と共にこの筑前国の支配に奮闘します。この高橋鑑種(たかはし あきたね)がのちの高橋 紹運(たかはし じょううん)となるわけですなぁ~(〃艸〃)ムフッ

高橋城の案内板によると『筑後国史によると『平城なり、縦53間、横25間、東に広さ3間の堀あり。西にまた2つあり。ひとつは広さ3間半、ひとつは2間の堀あり。二の丸は縦43間、横20間、東西に広さ3間、南に2間の堀がある。高橋三河守鑑種先祖より続きたる采地の城なり。鑑種、大友の賞によって筑前岩屋の城を賜りこれに移る。」とあります。(1間は約1.8メートル)』とありました(⌒∇⌒)  高橋神社(高橋竈門神社)一帯が城址であるが城であったことが想像つきますが、今は何も残ってしたぁ~(´;ω;`)ウゥゥ

筑後 高橋城 画像ギャラリー

高橋城周辺おすすめグルメ情報

福岡県は本当に美味しいものが沢山ありますよね!!!:.。.(*๓´╰╯`๓*).。.:
もつ鍋も有名だと思うのですが、俺がお薦めしたいのはここ!!!『牛もつ鍋 おおいし』さんです!
今回は美野島店に行ってみましたぁ~(^▽^)/

ここの牛もつ鍋の特徴は『味噌もつ鍋』なんです♪これがまた絶品です。((美^~^味))モグモグ♪︎

ガチで絶品なんで皆さんも食べてみて下さい~♪

牛もつ鍋 おおいし 美野島店へのアクセス

高橋城情報

築 城不明(1500年代中頃?)
城 主高橋氏
住 所福岡県三井郡大刀洗町下高橋
種 別平城
廃 城不明
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場

高橋城へのアクセス

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