鵜殿城の感想
鵜殿城へ行って来ました。正直、鵜殿氏知りませんでした。鵜殿城はもう一人のいるかもの記事を書いているライターポンタさんに新宮城へ行くと言ったら鵜殿氏っていう海賊の城があったと思うから行ってみたら。と言われて知りました。調べてみると鵜殿氏は江戸幕府の旗本や鳥取藩の家老などになっている家系。その鵜殿氏の発祥の地が紀伊の新宮鵜殿になるようです。現在は鵜殿は三重県紀宝町になり新宮ではなくなっております。鵜殿氏の始まりを調べてみると平安時代には熊野水軍の中の一つの家(家系)であったところから始まっているようです。源平合戦で活躍し戦国時代になると今川氏に仕え、その後は徳川氏に使える支流も出て来ます。そして関ヶ原、江戸時代と徳川の繁栄とともに重責を担う地位などを与えられる家系となりました。ただ、ここ鵜殿城の案内板には1615年に豊臣方に味方し帰らなかったとの記載がありました。これは嫡流(本家)の話なのかなと思ったりしますが、詳細がよく分からなかったです。
そんな鵜殿氏のお城、鵜殿城がどんな城なのか歩いてみます。
鵜殿城画像ギャラリー
ナビの地図上ではすぐ近くなのですが、なかなか近づけず。案内などが無く30分くらい彷徨ってしまいました。意を決して学校の脇の道を奥まで進むと車では行き止まりですが、グラウンドの脇に階段が。。
もしかしてこれかな?と思い半分くらい枯葉に埋もれた階段を登っていくと、案内の表示を発見!やった!
入り口は薄暗く少し不安を感じましたが、案内の分岐以降は日も差し込んでいて雰囲気の良い散歩道といった感じです。
しばらく歩くと土塁が見えて土塁を登るための階段があります。
写真でも土塁で囲われていることはなんと無くわかっていただけるかと思います。
鵜殿城には展望デッキがあり太平洋が一望できました。手前の工場が残念ですが、仕方ないですね。
とにかく海がきれい!でも台風が来ていたのでかなり白波だって海は荒れていました。
これを編集しながら知りましたが、鵜殿城、紀宝町ふるさと歴史館から登って来られるみたいで、荒れ果てた城跡に不釣り合いだなと思っていたのですが、そのために展望デッキがあるみたいです。
鵜殿城情報
築 城 | 不明(平安時代?) |
城 主 | 鵜殿氏 |
住 所 | 三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿102 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | 町指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し(紀宝町ふるさと歴史館に停められます。) |
鵜殿城へのアクセス
鵜殿城レビュー
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