奈胡十郎義行は1160年頃甲斐国奈胡荘を拠点とした武将で、甲斐源氏清光の十男として生まれたと云われています。甲斐源氏といえば1130年に源義清(武田冠者)と源清光(逸見冠者)の両名は常陸国https://jh.irukamo.com/takedashihasshounochi/より甲斐国に配流されましたが、甲斐国で各自が勢力を伸ばし拡大していきます。源清光は官牧の発達していた逸見郷へ進出し源清光の長男の光長が『逸見氏』を名乗ることとなります。。。その十男目の義行が奈胡氏なんですね(`・ω・´)ゞ
1180年に奈胡十郎義行は甲斐源氏の一員として平氏追討の合戦に参戦し、富士川の戦いでは平維盛を大将とする平氏の大軍を撃破したみたいですね!!!( `ー´)ノ
鎌倉幕府が成立した後、甲斐源氏の多くが源頼朝によって粛清されたが、奈胡十郎義行は上洛した源頼朝の随兵に選ばれるなど、他の甲斐源氏と立場や評価は違っていたみたいですね。しかし、その後は甲斐国奈胡荘へ戻っていた奈胡十郎義行ですが、1203年に源頼朝の鎌倉幕府による追討を受け討死してしまい奈胡氏は滅んでしまいます(って云うか源頼朝って怖!!!(;゚Д゚)が、奈胡十郎義行の子義継は生き永らえ米倉氏の祖となるようです。
【奈胡十郎義行の墓】



