由良成繁公の墓の感想
由良成繁は小野氏の流れを組む横瀬氏の家系で、横瀬氏は新田岩松氏の家臣をしていた家系になります。最初は横瀬成繁と名乗っていましたが、1528年、主君である新田岩松氏、岩松昌純を殺害し新田金山城を落城させた後に由良氏を名乗るようになります。
由良成繁はこの新田金山城を居城にしますが、1573年には嫡男の国繁に譲り、自分は桐生氏から奪った柄杓山城(桐生城)に移ります。そして1578年に73歳で亡くなります。
由良成繁は甲斐武田氏、関東管領上杉氏、古河公方足利氏、後北条氏と取り合いになった上野を生き抜くために、下剋上で主君岩松氏(上杉氏に従属)から城(領地)を奪います、その後、後北条氏 ➔ 上杉謙信 ➔ 後北条氏 ➔ 上杉謙信 ➔ 後北条氏と何度も主君を変えます。ここだけ見ると弱小国衆として振り回されているだけのように見えますが、実際には巧みに主君を変えながら領地拡大も図っています。1573年、成繁は館林城を攻めて落城させ領地拡大も図ったています。この館林城には三男(国繁の弟)である長尾顕長が城主になっています。ちなみに、顕長は足利長尾氏の養子に入ったので長尾氏を名乗っています。
個人的には隠れた関東戦国時代の名将だと思っている人物です。そんな方のお墓が桐生城のすぐ麓にある鳳仙寺というお寺にあるので興味ある方や由良成繁を知っている。好きだ!という方は是非訪問してみてください。
由良成繁公の墓画像ギャラリー
由良成繁公の墓と書かれた標柱がお寺の入り口に建ってます。


この先にも車停められそうでしたが、お寺手前の駐車場に停めて歩きます。


滝を発見!なかなか風流な雰囲気のお寺ですね!






案内に従い進んでいきます!


由良成繁公の墓
由良成繁公の到着しました!






由良成繁公の墓情報
| 年 代 | 1576年没 |
| 住 所 | 群馬県桐生市梅田町1丁目58 |
| 種 別 | 史跡 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 有り(無料) |
由良成繁公の墓へのアクセス
由良成繁公の墓レビュー
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