木曽義仲挙兵の地/白鳥神社(長野県)

木曽義仲挙兵の地/白鳥神社(長野県)

木曽義仲挙兵の地/白鳥神社の感想

長野県東御市の白鳥神社の脇に大きく木曽義仲挙兵の地の案内がありました。この辺り一体として木曽義仲挙兵の地とされているので上田市など他の場所にも挙兵の地として案内がされているようです。


個人的にですが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で木曽義仲と言えば不器用ながらも平家を倒すために邁進し、最後は頼朝から敵視され源義経を送り込まれて、「粟津の戦い」で討たれた印象が強く残っています。田舎者の雰囲気や巴御前との最後の別れのシーンなど涙ながらに見た人も多いのではないでしょうか。私は😭涙で見てました笑
巴御前が実在したかどうかは諸説ありますが、和田義盛が木曽義仲が亡くなったあとに引き入れて、その後妻にしたとの話も残っていたりします。和田義盛に興味がある人は和田城の記事も読んでみてください。
そんな木曽義仲ですが、治承4年(1180年)、後白河法皇の皇子である以仁王(もちひとおう)が平家追討の令旨(りょうじ)を出したことで挙兵をします。
木曽義仲は現在の長野県上田市にある「依田城(よだじょう)」に拠点を置いて兵を集め始めます。そして治承5年(1181年)6月、この白鳥河原に兵を集結させたことで「白鳥河原の勢揃い」と呼ばれることになります。この時に集まった兵の数は3,000騎と言われています。
このあとものすごい勢いで京へ進軍していくのですが、「倶利伽羅峠の戦い」では平維盛(たいらのこれもり)の軍勢10万に対して5万の兵でこれを打ち破ります。京に着いた時には10万の兵を率いていたみたいです。わずか2年で白鳥河原3,000の兵から100,000まで増やしたことも驚きですねー!木曽義仲が京へ上り詰めたことで平家は今日から追われ滅亡へ向かいます。
個人的には鎌倉殿の13人と同じ時期に平家物語のアニメも見ていたので平重盛など平家の家族や先ほどの平維盛など重盛の子供たちにも思い入れがあり、木曽義仲は好きですが、単純に源氏が好きとか平家が好きとかでは見られない感情がありますねー😭

木曽義仲挙兵の地画像ギャラリー

木曽義仲挙兵の地情報

年 代1181年ごろ
住 所長野県東御市本海野1204−1
種 別史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

木曽義仲挙兵の地へのアクセス

木曽義仲挙兵の地レビュー

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