勝山城は山梨県だけでも全国的に見ても城・館も含め複数ありますね。
『勝』とつけて何かと縁起のいい名称なんでしょうか?(●^o^●)
山梨県では県指定史跡となっている勝山城https://jh.irukamo.com/katsuyamajo/(山梨県都留市)有名で、こっちの勝山城(甲府市)は・・・あえて『勝山城/甲斐勝山城』とさせて頂きました( `ー´)ノ
こっちの勝山城は甲斐国では名門氏族の油川氏の居城であったと云われています。古い平山城で曲輪と土塁だけがあるシンプルな城で舘の要素が強かったんだと想像します。
油川信恵(あぶらかわのぶよし/のぶさと)の時に武田信玄の大叔父であり油川信恵の兄の甲斐国守護大名の武田信縄と争いましたが(1508年勝山合戦)、一族もろもろ壊滅し滅ぼされてしまいますが、ひとりだけ生き残った油川信恵の信友(源左衛門尉・入道加賀守)が、武田信虎・武田信玄の二代に仕え油川氏を継ぎ油川信友として継ぎ、1550年に信濃海野原での戦で起こった『砥石崩れ』の際に討死したと云われています。
勝山合戦の面白いところは、甲斐国の油川氏だけではなく小山田氏も加担したし、遠く北条早雲が甲斐国(油川氏側)に援軍を送るなど、当時の甲斐国が国内闘争が激しかったことがよくわかりますね(゚д゚)!
武田信縄の跡を継いだ武田信虎(信玄の父)が甲斐国統一を果たした武田信虎は凄い梟雄だったとあらためて思いますね!(。◕ˇдˇ◕。)/
また、武田信虎が平定した後、1515年に甲斐国内の大井信達が反乱を起こした際は、これに呼応した駿河国の今川氏の軍勢を送り込んみ勝山城に入城したとされています。 1521年には今川氏の武将福島正成が1万5千の軍勢を率いて甲斐国へ侵攻し勝山城に布陣したらしく武田信虎はこの軍勢を撃退するなど、甲斐国における国境の勝山城は甲斐国において最前線の平山城だったみたいですね。
【勝山城/甲斐勝山城】
勝山城は平野部にある比高20mほどの独立した台地に築城されており、規模は長軸150mほどらしいので、本当にこじんまりとした平山城だなぁ~って感じました(‘◇’)ゞ


いりぐちもわかり易く整備されていました






本丸は・・・草ボーボーで碑もよくわかりませんでした!!!( ノД`)シクシク…違う意味で難攻不落の夏の山城です!?!?!?(~_~メ)









