武田信重館跡/武田信重の墓(山梨県)

武田信重館跡/武田信重の墓(山梨県)

武田信重は甲斐源氏第14代目当主であり武田氏第11代目当主でもあります。
武田信重の父をたどっていくと父:信満→信春→信成→武田信武https://jh.irukamo.com/takedanobutake_katsuyorinohaka/(本人は甲斐武田の当主、弟が初代安芸武田氏の武田氏信)に辿り着きます(^◇^)

武田信重が誕生したころの甲斐国は管理下に置く鎌倉府の支配国のひとつでしたが、京都に置く室町幕府で何事も決定される複雑な国運営をしていた様です。室町幕府側は逸見氏に甲斐国を任せようとしますが、鎌倉府側は信濃国の小笠原氏に後援を受け武田信元を甲斐国に入国させ、甲斐国守護代であった跡部氏(あとべし)に支援させ、反武田氏だった逸見有直と対抗するが、武田信元は1429年に死去(戦死か)してしまい甲斐国は守護不在状態に陥ってしまいます。
1421年に室町幕府は武田信信重に甲斐国へ入国を命令しますが、甲斐国の反対勢力逸見氏や穴山氏の勢力を恐れ入国を拒否したため、武田信重は四国への隠棲を余儀なくされてしまいます・・・なんのこっちゃ!?(+_+)
足利義教(あしかがよしのり)が征夷大将軍に就任すると武田信重に再び甲斐守護就任を命じますが、武田信重は再度拒否してしまいます!!!マジでなんじゃこいつわ!!!(~_~メ) その後、1433年になると甲斐国の跡部氏が室町幕府と極秘に交渉を行い、跡部氏が武田信重を守護として迎える姿勢を示しm1434年3月には京都において武田信重と跡部氏の対面が行われ、跡部氏は幕府に対して武田信重を守護に擁立することを約束したと云われています。
甲斐国に入国した武田信重の頃には、甲斐国に影響を与えていた鎌倉府や逸見氏が没落していたため、甲斐国内の整備に着手したと思われます。

その武田信重の館は現在の『六角山成就院(じょうじゅいん)』辺りにあったとされ、その成就院の院内に武田信重のお墓もありました。

【武田信重館跡/武田信重の墓】

山梨県道22号甲府笛吹線沿いの『小石和』信号機の近くに六角山成就院がありました
『武田信重館跡』です( `ー´)ノ

成就院の奥に『武田信重の墓』がありました(=゚ω゚)ノ

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