一栗城の感想
大失態をしてしまいました・・・( ノД`)シクシク…
一栗城に訪問した際に、この一栗城の案内板を見て『ここに館があったのかな?』って勝手に思ってしまい周辺をパシリ!!! その後撤退してしまいました(´;ω;`)ウッ…
後で調べてみたら、この案内板の裏山にそびえる比高60mほどの山稜に築かれた山城だった様です。
一栗城は大崎氏の重臣で岩手沢城(岩出山城)の城主だった氏家氏の一族の一栗(いちくり/ひとつくり)氏の城だった云われています。一栗城は当初、一栗放牛(いちくりほうぎゅう←勿論法名です)が古館(同じ山の南方面に向かって約800mぐらい離れた場所にあります)を築き居城としていましたが、戦国末期になると、一栗放牛の孫の一栗髙春(隆春)が新たに一栗城を築いて居城を移したと云われており、城内は、東館(三の曲輪)・中館(本丸)・小館(二の曲輪)・西館(四の曲輪)が馬蹄形に配置された本格的な山城を築き、中館には城主一栗高春(隆春)が、東館には家臣の千田雅楽之丞が、小館には同じく家臣の半田土佐守が入り、西館には隆春の祖父で隠居していた一栗放牛が居住していたみたいですね。
1590年に起こった葛西・大崎一揆(かさい・おおさきいっき)の時、伊達軍が大軍で攻め込んできますが、岩手沢城(岩出山城)の氏家氏は親伊達派だったため、伊達政宗は一族の一栗氏と一栗城を素通り(城攻めせずに)して進軍していきます。猛将だった一栗髙春(隆春)は激怒し一揆側の佐沼城にあえて入城し、猛将の名に恥じぬ活躍を見せつけ攻め寄せる伊達勢を翻弄した様です!!!( `ー´)ノ 一栗高春(隆春)はここで討死したとも出羽国の最上氏の元に逃れたとも伝えられるみたいですね!
一栗氏滅亡後に一栗城は一旦廃城となりましたが、江戸時代には大崎氏の元家臣の四釜氏が一栗城で居住した様です。
一栗城画像ギャラリー
この度は勘違いして山城(一栗城)攻めせずにごめんなさいm(_ _)m
次回チャンスがあれば必ず攻め込んでみます!





一栗城情報
| 築 城 | 不明(室町時代) |
| 城 主 | 一栗氏 |
| 住 所 | 宮城県大崎市岩出山下一栗宿 |
| 種 別 | 山城 |
| 廃 城 | 1590年 |
| 特 徴 | – |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 無し |
一栗城へのアクセス
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