岩谷堂城(岩手県)

岩谷堂城の感想

岩谷堂城(いわやどうじょう)は平安時代にこの場所に藤原経清・清衡が館を構えたのが始まりとされているみたいです。 近くに豊田館があり、そこが藤原経清・清衡の居城と言われてますが、どういう関係なんですかね?豊田館は平城っぽいのでこちらが詰城なのか。時代的に平安時代ってそんなことしてたのか?うーん。謎ですねー

実際に城として使われていたのがわかっているのは、南北朝時代に葛西氏の一族だった江刺氏がこの地を領有するようになり、居城としていました。江刺氏は宗家である葛西氏と対立するようになり1361年や1485年と度々戦いに発展するようになります。ついに1495年、葛西政信と江刺隆見が激突しますが、江刺氏が敗北。葛西重胤が城主としてやってきます。ただ、1585年にはまた江刺重恒が城主となり江刺氏の居城となりますが、奥州仕置で葛西氏が滅亡すると江刺氏は南部氏に支えて奥州仕置以降もちゃっかり生き残ったみたいです!

岩谷堂城は葛西・大崎一揆の後、伊達政宗の支配下となり、伊達家一門の岩城宗規(岩谷堂伊達氏)の居城となり1869年、明治維新で廃城になるまでお城は存続したようです。

お城は「館山史跡公園」として整備されていて本丸跡には館山八幡神社があり、旧岩谷堂高等学校のグラウンド跡が二の丸、大谷桜のあるあたりに中の郭があり、土塁や空堀などの遺構が残っています。

岩谷堂城画像ギャラリー

駐車場に車を停めて看板に案内に従って進みます!

人の手が入ってそうに見えるんですが、曲輪跡などの遺構かどうかはわからないですね。

説明版

ここから入っていきます!

空堀

たぶん空堀跡だと思われます。

先に進みます!

土塁

土塁がありました!

二清院

この辺りが本丸になるんですかね?うーん。何も説明がないのでわからないです。。

この大木が1311年からあるイチョウの古木なんですかね?古そうですけどイチョウなのか?

立派な土塁!これは削られてこの形なのか?元々この形で門跡とかなのかどっちだろ?

土塁が見えてきました。

土塁沿いを歩いて行きます。

藤原氏御館跡

一周して出てきたら藤原氏御館跡の石柱がありました!この土塁の上にある東屋のあたりなのか、ここ全体なのか?

標柱のある反対側も曲輪っぽいですね!一段低くなっているので二の丸か三の丸になるんですかね。高校のグラウンド跡が二の丸って案内があったので、グラウンド跡ぽいので二の丸ですかね?

さっき見えた東屋の方へ行ってみます。これも当時のままだったら堀切跡ぽいですが、どうなんでしょ?

大谷桜

春に来たら綺麗な桜が見られるんでしょうね!

中の郭跡(説明版)

ここは中の郭跡になるみたいですね。

展望台があったので登ってみました。眺望としてはあまり良くないですが、曲輪を上から眺められるのでおすすめです!

曲輪・土塁

岩谷堂城情報

築 城不明(平安時代)
城 主藤原氏、江刺氏、葛西氏、溝口氏、伊達氏
住 所栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33
種 別山城
廃 城1869年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

岩谷堂城へのアクセス

岩谷堂城レビュー

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