手取川と大日川の合流点に位置する山の先端部を利用して築かれています。丘陵地ではありますが標高は312mの場所に主郭部が築かれており、1573年頃築かれたと思われますが築城者は不明です。城主としては鈴木出羽守と云う者が城主として入城していたとされています。
城主の鈴木出羽守に指導された白山麓本願寺門徒は、南加賀一向一揆において最後まで頑強に抵抗し、1580年に織田信長配下柴田勝家による攻撃を受けるが、支城だった舟岡城https://jh.irukamo.com/post-40829/と共に鳥越城も落城したと云われています。鳥越城落城後も約2年間も白山麓本願寺門徒は抵抗を続けますが、1582年に佐久間盛政に鎮圧され2年にわたって攻防戦が終わります。 また、柴田勝家?佐久間盛政?いやいや織田信長?の怒りが凄まじかったのか? 白山麓門徒たち三百余人は鎮圧後に磔に処せられて殺害されました。これによって『加賀は百年間百姓の持ちたるような国』と称された加賀一向一揆が終焉したと云われています (。-_-。)
鳥越城は、面積は東西400m南北1,200mもあり頂上を中心とした7ヵ所の主要な郭で構成される。郭は、本丸・二の丸・三の丸・後二の丸・後三の丸などと名付けられ、空堀や土塁を挟んで尾根筋を巧みに利用して配置されていて、それを腰郭が囲む。本丸を中心に二の丸、三の丸が空掘、腰郭で結ばれる連郭式城郭の遺構を有しているみたいです(。◕ˇдˇ◕。)/
2022年8月4日に発生した豪雨災害、及び、2024年1月1日に発生した能登半島地震により遺構と林道城山線の一部が崩落していました。林道や石垣などが崩れてしまっていて修繕中でした( `ー´)ノ
【鳥越城】
『石川県道44号小松鳥越鶴来線』沿い『鳥越城』の看板と案内板がありました!





クルマで行けるところまで行ってみます









ここから歩いて行ってみます( `ー´)ノ





あやめが池・・・よくわかんない!(´;ω;`)ウゥゥ








『後三の丸』です(。◕ˇдˇ◕。)/








うんうん・・・広いな!





ここに本丸西側の建物があったのかな???


本丸かな???構造物が見えてきましたね(`・ω・´)ゞ

復元された『枡形門』ですね! 豪雨や能登地震で崩れてしまっていますな(´;ω;`)ウゥゥ




くぐってみましょう~♪



中に入ったら・・・あれ?『本丸門』\(◎o◎)/???



本丸の壮大な構造物の復元ですね・・・凄い・・・













いい見晴らしですね~(^◇^) これが山城の醍醐味です!


本丸です<(`^´)>





本丸を囲む土塁です♪




『中の門』です(●^o^●)






『隅櫓』の跡です!




こっちは『土塁』跡ですわ♪




『中の門』付近の『二の丸』です♪


本丸の下の段に行って本丸の巨大な空堀を見に行ってきました!そこには『後二の丸』もありましたよ! 凄い迫力です~( `ー´)ノ




強固な土塁です!











