伊予国新居郡金子山に金子氏が築いた金子城ではありますが、築城はいつなんだかわかっていません。しかし、金子氏は武蔵国の金子氏. 蜻蛉 (桓武平氏村山党). 武蔵七党のひとつ村山党の一族らしく、武蔵七党とは鎌倉時代に活躍した武士集団なので、金子氏はかなり昔に伊予国に下って来たものだと思われます( `ー´)ノ(持論!苦笑)
金子城と云えば!!!金子元宅(かねこもといえ)ですよねぇ~♡(●^o^●)
金子元宅は新居郡を支配した金子氏 第16代目当主で、戦国末期には主家である伊予守護 河野氏の権威が失墜するなか、金子元宅は優れた政治力と軍事力で頭角を現します。
名目上の領主であった西条の高峠城主・石川氏の「執政(実質的な最高権力者)」として実権を握り、新居郡・宇摩郡を中心とする東予地方の武士団を強力に統率していきます!
土佐国の長宗我部元親が四国統一を目指して伊予国へ侵攻を開始すると、金子元宅は無益な戦いを避けて元親と同盟を結びます(この辺の判断力が凄い!) 長宗我部元親は金子元宅の武勇と東予での影響力を高く評価し『対等の関係』での同盟者として遇したみたいですね。金子元宅は長宗我部陣営の東予における最重要拠点として、讃岐国や阿波国方面からの脅威に備えました。
1585年に羽柴(豊臣)秀吉の四国征伐がスタートすると、伊予国は羽柴(豊臣)方の安芸国 毛利氏の侵攻先となり、小早川隆景率いる毛利軍総勢2千を迎え討ちます!!!((+_+))
金子元宅は妻の実家の石川家中で毛利軍との和戦の議論が行なわれた際、
『昨日は長宗我部に従い、今日は小早川に降る。土佐の人質を見捨てて他人に後ろ指を指されるのは武士の本意ではない。』
『勝負は時の運なり、死力を尽くして一戦を交えて、刀折れて矢尽きる迄身命を賭して戦うべし 』
と金子元宅は周りの一族に云い放ち敵に臆することなく戦いを決意させます( `ー´)ノ
岡崎城https://jh.irukamo.com/iyookazakijo/、富留土居城https://jh.irukamo.com/furudoijo/、そして本城だった金子城などが陥落する中、金子元宅は氷見の高峠城に入り敵の大軍を迎え撃つべく残党兵を高尾城に集結させます。高峠城主石川備中守をはじめ金子氏、高橋氏、松木氏、藤田氏、菰田氏、野田氏、近藤氏、塩出氏、徳永氏、真鍋氏、丹氏、久門氏、難波江氏ら総勢6百程が高尾城に拠って抵抗します。その際に全軍を指揮をとったのは金子元宅でした(`・ω・´)ゞ
小早川・毛利軍の多勢に対し、最期を悟った元宅は自ら高峠城に火を放ち、百人程で野々市ヶ原に打って出て奮戦。その生涯を終えてしまいます・・・
敵将である小早川隆景は、金子元宅の類まれなる武勇と義理堅さに深く感銘を受け、陣没した金子元宅や金子一族の武節を称えて手厚く供養したと伝えられます。ありがとう!隆景!ヾ(≧▽≦)ノ
【金子城/金子山城/橘江城】
現在は『滝の宮公園』として整備されていました!
主郭のあった第一展望台に石碑が建っているのみで遺構はあまりありませんでした。











ここを登って行けば!本丸ですヽ(^。^)ノ



本丸に到着ですかね!ヾ(≧▽≦)ノ










